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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)3296号 判決

原告 篠原定夫 外三名

被告 三菱製紙株式会社

補助参加人 三菱製紙労働組合

主文

一  原告らが被告の従業員であることを確認する。

二  被告は原告らに対し、それぞれ別表(一)賃金額一覧表の未払賃金額欄記載の各金員、および昭和四三年五月二一日以降原告らを就労させるまで、毎月二〇日限り同表の賃金額欄記載の各金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用のうち、原告らと被告間において生じた分は被告の、補助参加に対する異議によつて生じた分は原告らの、補助参加によつて生じた分は補助参加人の各負担とする。

五  この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

主文第一項と同旨、および「被告は原告らに対し、それぞれ別表(二)賃金一覧表の未払賃金額欄記載の各金員および昭和四三年五月二一日以降毎月二〇日かぎり同表の賃金額欄記載の各金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに主文第一項と同旨の請求部分を除くその余の部分につき仮執行の宣言

二、被告

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二、当事者双方の主張

一、請求の原因

1  (一)、被告は肩書地に本社を置き、東京都に中川工場、大阪市に大阪営業所と浪速工場(昭和四三年三月三一日閉鎖)、京都府長岡町に京都工場、兵庫県高砂市に高砂工場、青森県八戸市に八戸工場(浪速工場の右閉鎖に伴い新設)、福島県西白河郡に白河工場、岩手県北上市に北上工場、をそれぞれ有し、かつ従業員約四、五〇〇名を擁して製紙業を営む会社である。

(二)、原告らは右浪速工場の従業員であるとともに被告の従業員で組織している補助参加人(以下組合ともいう。)の組合員であるが、右組合員としての所属は、右浪速工場従業員で組織していた補助参加人浪速支部(以下浪速支部という)にあつた。

なお、原告らの後記解雇当時の勤務場所、職種および組合加入年月は左記のとおりであつた。

(氏名)  (勤務場所・職種)  (組合加入の年月)

原告 篠原 浪速工場抄紙課作業係  昭和二七年三月

同  藤田 同工場原料課作業係   昭和二七年六月

同  沼田 同工場研究課作業係   昭和二八年六月

同  大野 右に同じ        昭和三二年六月

2、被告は原告らに対し、昭和四二年九月一九日付内容証明郵便をもつて原告らが組合から除名(以下本件除名という。)されたという理由で、被告と組合間の労働協約(以下本件協約という。)四条のユニオン・シヨツプ条項(以下ユ・シ条項という)により解雇(以下本件解雇という。)する旨の意思表示をした。

3、本件解雇は、その前提である右除名が、以下述べる理由によつて無効であるから、無効である。

(一)、本件除名は、原告らに除名事由に当たる行為がないのになされたものであるから無効である。

(1)、右除名に至る経緯

被告は昭和四一年一月三一日全社体質強化計画を発表し、八戸新工場の設置および浪速工場の閉鎖を明らかにした。右発表後、浪速工場従業員の配転、八戸新工場への従業員の補充などをめぐり被告と組合とは再三にわたり団体交渉を重ねた結果、同年四月一五日「浪速工場閉鎖に伴う強制転勤は行なわない。浪速工場の組合員は各場所(設置予定の営業所倉庫を含む。)に吸収されることを基本とし、転勤について会社は組合員の意向を尊重する。」旨の協定(以下四・一五協定という)を締結した。そして、被告は、右協定に基づき同年一二月末日までに、浪速支部組合員三〇〇名のうち退職者五七名を除くその余の従業員の殆んどを転勤させた。ところが、被告は、原告らについては同月末頃になつて初めて転勤交渉を行ない、しかもその際武末浪速工場製造部長は、原告らにつき現在まで転勤先の話合ができなかつた原因は原告らの考え方が被告の意向に背馳していることと、各工場とも原告らを嫌悪して受入れてくれなかつたことにあると言明した。

その後被告から原告らに対し、後記のとおり転勤先の提示があつたが、転勤先として関西地区を希望していた原告らにとつていずれも予想もしない場所ばかりであつたうえ、被告側は右転勤先の承諾を原告らに強いる態度に出た。すなわち、

原告篠原については、昭和四二年一月五日山形県の小国駐勤所が転勤先として提示されたが、その後同年三月一五日香山浪速工場総務課長が、「君の希望は入れられない三菱に勤めるのなら山形県の小国駐勤所しかない。各工場とも君は困るという。」と述べ、さらにその後同年三月二三日国分本社人事部長らが、「福島県の田島駐勤所へ行け。工場では勤労課がいやがつている。無茶やつたほとぼりがさめるまで山へ行け。」などと述べ、結局転勤先としてこれらの駐勤所を提示した。

原告藤田については、当初同年三月一五日岩手県の岩泉駐勤所が転勤先として提示されたが、その後同月二三日右国分人事部長らが、「駐勤所なら行かせるが、工場は駄目だ、関西に残すことはできない。」などと述べて、改めて、転勤先として宮城県の古川駐勤所を提示した。

原告沼田については、昭和四一年一二月二九日岩手県の久慈駐勤所が転勤先として提示され、その後右武末部長が同原告を毎週一回ぐらいずつ呼出したうえ、「他工場は、君たちのことを知つていて受入れてくれないから、山へ行くしかない。改心すれば将来性もあるが、反抗すれば徹底的にやる。気に入らぬなら辞めろ。」と述べて転勤を強要した。また、翌昭和四二年三月四日浪速工場の山本主任らが、改心すればやり直しも可能である旨を説いて、同原告の信条の変更を強要し、さらに同月二三日右国分人事部長らが改めて前記岩泉駐勤所への転勤を提示した。

原告大野については、同原告の関西残留の強い希望を無視して同年一月五日中川工場への転勤を提示したうえ、右武末部長が同年三月まで四回にわたり、改心すれば転勤先の変更も可能であるなどと述べて、同原告の思想、信条の変更を強要した。

ところで、浪速工場の従業員が駐勤所に勤務することは著しい職種の変更になるものであつて、このことは原告らについても同様であるところ、原告らの従前の作業内容、技術、生活経験からみて前記駐勤所等への転勤を強要することは原告らにいわば不可能もしくは著しい困難を強いるものであつた。しかも、元来駐勤所は被告が昭和四一年四月一日白河パルプ工業株式会社(以下白河パルプという)を合併しパルプ部門を設置したことに伴い設けられたものであつて、四・一五協定締結までの団体交渉でも被告は林材部すなわち駐勤所への転勤はないと明言していたし、また四・一五協定は前記のとおり浪速工場従業員をすべて各工場または営業所へ転勤吸収することを基本とし、駐勤所への転勤をなんら含まないものであつたばかりでなく、現実に原告らを八戸新工場に収容することも可能であつた。しかるに、被告は原告らの京都工場などへの転勤希望を全く無視し、差別的な前記転勤先を提示したうえ、昭和四二年四月一日には原告らに対し最終的勧告として右転勤先に転勤するか、あるいは退職するか、いずれかを同月三日までに回答するよう迫つた。原告らは、その不当性を追及して右勧告の撤回を求めるとともに、組合にも善処方を要請したところ、被告からも組合に対し協力申入れがあつたことから、同年五月一日組合の仲介により、被告・組合・原告らの三者構成による話合が行なわれた。その際、原告らが右最終的勧告の撤回を求めたところ、被告は前記転勤先を撤回しないことを前提として話合を進めるという態度を固持したため、右話合は結局物別れに終つた。

ところで、組合は同月四日中央闘争委員会を開き、右話合において原告らが具体的な転勤交渉に応じないのは、組合の機関決定に反する態度であると指摘したうえ、さらに被告との話合を続けるべきであるとして、原告らに対し右機関決定に従うとともに、各人別に転勤についての希望や意見を提示するよう指示した。そこで、原告らは連名で「機関決定には従うが、転勤希望先は京都または大阪である。」との簡単な回答書を送付したところ、組合は原告らと直接話し合つて委細を尽す必要があるとして、同月一五日田中中央執行委員長が、また翌一六日浪速支部役員が、それぞれ原告らと面談し、話合を進めることを決定した。そこで、原告らは、右両日の会談に出席し、極力話合に応じて事態の円滑な進展をはかるべく努力したが、ここでも話合は一向に進まなかつたところ組合は同月二六日原告らが組合の統制に違反したとして戒告処分に付したうえ、原告らに対して組合役員との転勤問題に関する話合を応諾するよう指示した。そして原告らがこれに回答しないでいたところ、組合は同月二九日再度返答するよう指示したが、原告らはこれに応じられない旨を回答した。

しかるところ、組合は原告らの前記言動は組合の機関決定に違反し、分派活動を展開するものであるという理由で、同年六月二七日付浪速支部長の中央査問委員会に対する告発により、同年七月一七日から中央査問委員会を開催して審議をした。その結果、組合は、同年八月二六日同委員会が中央執行委員長に対してなした原告らを除名すべき旨の答申に基づき同月八日の第三七回組合定期大会において、原告らの除名を決議し、かつ全員投票を経たうえ原告らに対し同月一六日右除名処分を執行した。

(2)、本件除名事由は、要するに、前記のとおり(イ)組合の中央執行委員会が原告らの転勤問題解決のため、原告ら、組合および被告の三者構成による話合を昭和四二年五月一日行なう旨決定し、これを原告らに伝えたが、原告らは、被告がこれまでとつて来た態度を白紙撤回しないかぎり右転勤問題につき具体的な話合をしないと主張し、右話合を拒否して右中央執行委員会の決定を無視したこと(ロ)組合が同年五月四日中央闘争委員会を開き、原告らの転勤問題を被告と交渉しようということになり、原告らに対し、〈1〉組合の機関決定に従うべき旨、および〈2〉転勤についての各人の希望と意見とを回答すべき旨を指示したが、原告らは、同月一一日連名で、「機関決定には従う、転勤先は京都または大阪である」旨の簡単な回答をしただけで、各人の個別的、具体的事情と、これに対する意見や理由の表明をせず、右中央闘争委員会の指示を軽視したこと、(ハ)同月一五日組合の中央執行委員長が、また翌一六日浪速支部長が、それぞれ転勤問題につき原告らと話合おうとしたが、原告らは、これを拒み、さらに同月二九日原告らが中央闘争委員会の原告らに対する組合役員との転勤問題に関する話合応諾の指示に対し、これに従えない旨回答したこと、以上の原告らの言動が組合の機関決定に反し分派活動を展開するものであつて、組合の統制に反するものであるというのである。

しかしながら、原告らには、なんら組合の統制ないし規律違反の行為は存在しない。

(3)、以下、本件除名事由ごとに、原告らに右事由のないことを詳述する。

(イ)、右除名事由(イ)について

前記(一)、(1)で述べたとおり、被告は原告らの転勤問題については、四・一五協定に違反し、他の浪速工場従業員に対する取扱いとは異なり昭和四一年一二月下旬になつて初めて具体的な転勤先を提示したが、その転勤先も原告大野を除くその余の原告らの場合は、これまでの前例もなく、勤務することが不可能か少なくとも著しく困難で、当然職種の変更を伴う前記駐勤所であつた。しかも、被告は、昭和四二年四月一日には、右提示にかかる場所以外に転勤先がないことを明らかにして転勤に応ずるよう原告らに迫つた。そこで、原告らは、被告のかかる協定無視の態度の不当性を訴え、その是正をはかるべく、中央執行委員会の見解と原告らに対する指示を求めるとともに、転勤問題について組合の協力と援助を要請した。ところが、組合は、原告らの右訴えになんらの応答もしなかつたばかりか、逆に右要請に藉口し、かつ被告からの申入れに応え、右転勤問題を自ら調整しようとして、前記三者構成による話合を行なう旨決定したのである。しかしながら、右転勤問題を解決するための準拠規範としては四・一五協定があるから、右転勤問題については、右協定により原告らと被告間の話合いによる解決に委ねるべきものであつた。したがつて、中央執行委員会が前記決定により右転勤問題の調整を行なおうとして、原告らの参加を得られず、結局三者構成による前記話合が効を奏しなかつたとしても、これを組合統制上の問題とみることは、組合員と被告間の個別な労働契約上の権利、地位の帰趨についてまで、組合がその組織力を背景に介入し、干渉することを容認するものであつて、不当である。仮に、組合が四・一五協定により右調整義務を負い、その履行を被告から迫られていたとしても、本来人事異動は被告がなすべきものであるから、組合が被告に対して負う右調整義務は、いわば単なる尽力の範囲を出るものではない。もし、右義務の性質が右尽力の範囲を越えるものであれば、もともと被告が解決すべき人事異動上の問題を組合において肩替りして解決することとなり、その不当なことは多言を要しない。したがつて、右除名事由(イ)は、事柄の性質上、たとえ原告らにその事実があるとしても、組合統制上の非違行為とは到底みることはできないものである。のみならず、本件の場合原告らは、前記三者構成の話合に出席し、右話合を拒否したことがないのであるから、なんら右除名事由に該当しないのである。もつとも、右話合で原告らの転勤問題について進展がなかつたことは事実であるが、それは、一方で、組合が被告に対し駐勤所に代わる転勤先を具体的に示すよう要求し、提示された右転勤先が原告らの希望に合致するか否か等を検討するという常識的かつ妥当な交渉方法を採らず他方で、被告が駐勤所以外の転勤先を提示することなく、「山へ入るか、退職か。」という、これまでの差別的態度を固執して原告らを退職させようと企図し、原告らをして積極的に希望を述べ得ない状況に追い込んだことによるのである。かかる状況のもとにおいて、原告らが被告に対し強制転勤を行なわず、本人の意向を尊重する旨を決めた四・一五協定の誠実な遵守と履行を求め、被告の態度を改めるよう要求することは当然であり、また原告らの右態度は右協定の誠実な遵守と履行を被告に要求する点において、むしろ右協定の一方の当事者である組合の強化を願うもののとるべき姿勢でもあるといえる。したがつて、前記話合において原告らがとつた被告に対する抗議の態度をもつて、組合規律に反するものとみることはできないというべきである。

(ロ)、本件除名事由(ロ)について

原告らには、組合の指示に対する違反の事実はない。すなわち、前記(一)、(1)で述べたとおり原告らは、「機関決定に従う」旨組合に回答しこれに従わないと述べたことは一度もない。もつとも、右「機関決定に従う」との文言はそれ自体包括的な文言なので、これについての組合の意図は必ずしも明白でないが、それが原告らに対し組合機関の決定した具体的な転勤先に関する指示に従えという意味までも含むものでないことは事理に照らして当然であるから、結局その趣旨は組合機関の指示に従つて原告らが転勤の話合に応ずることにあると考えられる。ところで、原告らは前記のとおり組合の指示に従つて、これまで話合に応じてきたのであるから結局前記指示違反はない。また転勤に対する原告ら各人の希望と意見の回答指示の点については、前記(一)、(1)で述べたとおり原告らは連名で回答書を送り転勤希望先を明示している。ただ右回答書では、原告ら各人の個別的、具体的事由等は示していないが、原告らはすでに昭和四一年三月実施された組合の希望調査に応じて転勤に関する意見と希望を明らかにしたほか、昭和四二年二月から四月までの間、浪速支部に対し訴え、相談その他の方法で個別的事情等を詳しく述べ、これにより原告らは組合に対し被告との転勤交渉上必要な転勤先についての希望、意見および個別的事情等を十分説明しているから、組合が被告と転勤交渉するのに支障をきたすようなことは全くなかつたのである。したがつて、組合が、被告との間で、原告らの他の転勤先の有無や可否等をなんら具体的に明確にさせることなくして行なつた前記指示は、むしろ被告が転勤先として提示した前記駐勤所等を固定的なものとしたうえ、組合の組織力を背景に原告らにこれが話合を強制し、原告らをむりやり右駐勤所等へ転勤させるための手段としてなされたものとみるほかはない。また、原告らは右転勤につき被告から不当な差別的取扱を受けるという共通の立場にあつたため、その解決を図るべく相協力したものであり、組合の組織、活動の方針等を批判し、右方針から逸脱するような行動に出たものではなかつたのである。いずれにせよ原告らには、本件除名事由(ロ)にいう組合の指示に対する違反はなんら存しない。

(ハ)、本件除名事由(ハ)について

原告らが右除名事由にいう昭和四二年五月一五日組合の中央執行委員長との話合を拒否したとの点については、原告らが右話合を拒否したことはなく、むしろ前記田中委員長の側でなんらの合理的な理由もないのに、実質的な話合を拒んだというのが真相である。すなわち、原告らは当日終業後直ちに組合事務所に同委員長を訪ね、話合を要請したが、右委員長は、「原告らが一緒では話合ができない。一名ずつ来てもらいたい。機関決定である。」旨を述べて、右要請に応じなかつたのである。ところで、原告らは個別でなく一緒に話合することを希望したが、その理由は、各人ごとでは話合の内容が区々に伝達される結果、統一的把握に困難をきたす情況にあつたからであり、個別でなければ話合に応じられない旨の右委員長の発言こそ全く合理性がないのである。まして、原告らの右希望を分派行動とみること等は全くのこじつけであり、原告らの意図を曲解するも甚しいものである。なお原告らは、右委員長から最初の呼出があつたときは、これを拒否したが、それは就業時間中であつたことによるのであつて、かかる場合就業時間経過後まで話合に応じられないと回答することは当然のことであるから、右回答をもつて話合を拒否したことにならないことはいうまでもない。また原告らが浪速支部役員との話合を拒否したとの点については、かかる事実は全くない。次に原告らが同年五月二九日付の組合役員との転勤問題についての話合を応諾すべき旨の中央闘争委員会の指示に違反したとの点については、原告らが右指示に応じられない旨回答したことはあるが、それは右指示の趣旨が単に転勤の話合に応ずるよう命じたものではなかつたからである。すなわち、右指示に先立ち前記戒告処分がなされた当時、右田中委員長は口頭指示で機関決定に従うとは、被告、組合間で転勤先が決められたときはこれに従うことを意味し、原告らにこのことを明確に表明することを求めている旨説明したので、原告らは機関決定には従うが、転勤問題は従業員個人の基本的な労働条件に関する事柄であつて、本人の意向を無視して決定されることは不当である旨回答したのである。ところが、前記指示があつたため、原告らは右指示を応諾することは転勤先の決定を被告と組合に委ねることとなるので、これを拒否したものである。要するに、中央闘争委員会の前記指示は、もともと右のとおり本来組合のなし得ない内容を含む違法不当なものであるから、これに従わなかつた原告らが分派活動を展開したとして、問責されるべき筋合ではない。

(二)、仮に、以上の主張が理由がないとしても、本件除名は原告らの思想、信条を理由に、統制権を著しく濫用して行なわれたものであるから、公序良俗に反し無効である。

本件除名事由とされている原告らの行為は、前述したところから明らかなように組合員としての正当な権利の行使であつて、本来組合の組織統制上の問題とは無関係なものであるから、かかる行為を理由に原告らを除名することは許されないのである。それにもかかわらず、組合が原告らを除名したのは、ひつきよう原告らが組合のとる労使協調路線、反共主義の立場と異なつて、後記のとおり階級的、民主的労働運動を推進し、思想、信条の自由を守るとともに、一方産業別統一闘争をはかり、これによつて労使協調を打破しようとしたため、組合がかかる原告らの思想、信条を嫌悪したことによるものであることが明白である。のみならず、本来労働組合の統制権は、組合員の社会的、経済的地位の向上をはかり、かつその団結を強化するために行使されるべきものであるから、組合としては当然四・一五協定の厳格な実施を被告に要求し、右協定により保障された組合員の権利、利益の確保ことに転勤先についての労働条件の維持向上のために努力すべきものであつた。ところが、本件除名は、前記のとおり組合が、右協定に違反してなされた被告の不法不当な転勤措置に同調するため、その統制権を行使してなしたものであつて、統制権の本来の趣旨に反し、これを著しく濫用して行なわれたものであるから、公序良俗に反し、民法九〇条によりその効力を生ずるに由ないものというべきである。

(三)、仮にそうでないとしても、本件除名は、組合規約五九条、査問委員会規定三条二項等の規定に違反してなされたものであつて、手続上明白かつ重大な瑕疵があるから、無効である。

(1)、組合規約五九条は、除名その他の制裁手続については査問委員会規定による旨を定めているところ、査問委員会規定二条は本部に中央査問委員会、支部に支部査問委員会を設置する旨、また同規定三条、四条は両査問委員会の審議事項を限定的に列挙し、組合の本部役員をのぞく一般組合員の統制処分について中央査問委員会を支部査問委員会の続審ないし覆審的機関として位置づけ、とくに権利停止および除名については、支部査問委員会で審議し、さらに査問委員会規程三条二項、四条二項、二二条、統一支部規約六八条により当該組合員の属する支部大会の決議を経たうえ、支部長の申請に基づき中央査問委員会が審議する旨をそれぞれ定めている。ところで右支部査問委員会の審議、支部大会の決議および支部長の申請という一連の手続は、組合員の基本的人権を尊重し、公正適切な制裁を定め、真に民主的な組合の運営をはかることを明記している査問委員会規定一条の趣旨に照らすと、右制裁をなすについては、右手続を履行することが絶対不可欠な要件であり、これを欠いて組合員を除名等の制裁に付することは許されないものというべきである。

(2)、しかるに、本件除名については、前記(一)、(1)で述べたところから明らかなように支部査問委員会の審議、支部大会の決議という両手続が全く欠けており、これは査問委員会規定四条二項、統一支部規約六八条但書に違反するものであり、また浪速支部大会の決議を経ることなく同支部長の告発により中央査問委員会が直ちに審議を開始したことは、査問委員会規定三条二項に反するものであることが明白である。のみならず、右除名は、原告らが査問委員会規定の保証する上告権ないし再審の機会と利益を全く奪われたままその執行がなされた点で、査問委員会規定三条、四条、二七条にも違反するものであつて、いずれにせよ右除名手続には明白かつ重大な違反が存するから、右除名は無効である。

(3)、ところで、右についての組合の見解は、(イ)本件のように組合の機関決定に対する重大な違反が存する場合には組合全体の問題として直ちに中央査問委員会が審議できること、(ロ)支部査問委員会の審議事項は統一支部規約六六条二項により「支部の統制と秩序に反したとき」に限定されているところ、本件は右の場合に該当しないこと、(ハ)査問委員会規定三条二項にいう「申請」は同規定一〇条、一一条の「告発」と同意義であるから、本件において浪速支部長のした告発は右「申請」と同一に解してよいこと、以上の理由から、本件除名の手続には瑕疵がないというにある。

しかしながら、右見解はきわめて不当である。すなわち

(イ)、支部または中央の査問委員会の審議事項になるか否かの区別の基準が機関決定に対する違反の重大性の有無等にあるとすれば、査問委員会規定三条、四条は全くその存在理由を失なうことになる。

(ロ)、また、統一支部規約は、支部の規約であるため支部の秩序の保護を強調するための表現形成をとつて、同規約六六条二号に「支部の統制と秩序を乱したとき」と記載したに過ぎないのである。現に、同条五号は、「組合員としての義務を怠つたとき」を制裁対象としているところ、これは組合規約九条と同一文言で、同意義のものである。したがつて、支部長は支部組合員が組合員としての義務に反するときは、常に支部査問委員会の答申により処分を決定できるものであるから、支部査問委員会の審議対象を支部の統制と秩序に反したときに限定する解釈は独断といわなければならない。

(ハ)、最後に、前記支部長の「申請」と「告発」とは同意義のものではない。すなわち、右申請は、支部長が支部査問委員会の審議および支部大会の除名または権利停止の決議のあつたことを中央執行委員長に答申するとともに、中央査問委員会に右決議の正否の判定を求めるものであつて、支部長が右手続を経ないで直ちに中央査問委員会に対してなす告発とは異なる性質、内容のものである。したがつて、両者を同意義に解することは誤つた拡張ないし類推解釈として明らかに不当である。

(四)、本件解雇は前記のとおり本件協約四条のユ・シ条項に基づくものであるところ、本件除名が前記(一)ないし(三)の理由で無効である以上、これに基づく右解雇もまた無効と解すべきである。すなわち、

(1)、ユ・シ協定は、本来労働組合の組織維持強化の目的で組合員の地位と従業員の地位とを労使間の特別の約定によりいわば連結したものであるところ、除名を理由とする解雇は、かかる連結関係により、前提たる除名処分が無効であれば、解雇理由を欠くものとして当然無効となるものと解すべきである。

もつとも、本件ユ・シ条項は本件協約四条但書で「会社がその解雇を不適当と認めたときは、組合と協議のうえ決定する。」と規定していることから明らかなように、いわゆる尻抜けユニオンであるところ、(被告は、昭和三四年四月の団体交渉による確認事項の存在によつて、右協約四条は、右但書の規定にかかわらず完全ユニオンであるというが、このように解しえないことは、右団体交渉の経過すなわち組合の再三にわたる要求にかかわらず、被告が右但書の削除に応じなかつた事実に照らして明らかである。)、右尻抜けユニオンの場合においては、被告は右協約四条但書を援用して直ちに解雇せず、組合に再考を促すこともできるというに過ぎないから右ユ・シ条項に基づく本件解雇の効力自体については、完全ユニオンの場合と少しも異なるものではない。

(2)、なお、ユ・シ条項による解雇については、それが労働組合からの手続上正当な通知に基づくものであれば、除名の有効、無効にかかわらず、常に有効である旨の見解があるが、右見解は誤りである。すなわち、右見解は解雇に関する権利濫用の禁止、正当理由の必要性、あるいは解雇と除名との前記連結関係(因果関係)を看過するものであるばかりでなく無効な除名は、除名の不存在に等しく、使用者になんら具体的な解雇義務を生ぜしめるものでないことなどを全く無視するものであつて、誤解に基づくものといわざるを得ない。のみならず、ここに正当な除名の通知といつても、それは、単に除名無効により解雇無効となつた場合に、使用者は、除名通知の正当性を立証するだけで、組合に対し当該従業員に対して支払うことを余儀なくされた賃金等の損害の賠償請求ができるということを意味するにとどまりなんら解雇の有効性を根拠づけ得るものではない。右見解はこの点からみても誤りである。

4、仮に、以上の主張がすべて理由がないとしても、本件解雇は組合の本件除名に藉口し、原告らの思想、信条を理由としてなされたものであるから無効である。

(一)、原告らの活動歴は、次のとおりであつた。

(1)、原告篠原は、組合の中心的指導者として、被告の弾圧政策のもとに、労使協調路線に反対し、産業別統一闘争を進め、また政党支持の自由の確保を信条として、左記のとおり闘つてきた。

(イ)、昭和二七年から昭和二九年まで浪速支部の教宣部員、職場委員、執行委員の各役職を歴任しその間当時組合員の強い要求であつた職員と工員間の身分差別の撤廃等のために闘つた。

(ロ)、昭和三〇年から昭和三三年まで右支部の教宣部員、執行委員あるいは書記長として右身分制撤廃をめぐる組合の分裂に際し、組合員の統一と団結を守るために活動した。

(ハ)、昭和三三年から昭和三五年まで組合本部の書記長、中央執行委員長あるいは浪速支部長の役職を歴任し、その間右身分制撤廃に重点をおいた制度改訂のための闘いにおいて、専門委員として特別賞与基準の廃止、定期昇給差別の廃止のために努力し、また中川工場を中心とする被告の合理化案に対し、これに反対する闘争方針を提起し、補助部門要員等を制度化するために交渉し、とくに浪速工場工作課の要員削減が問題となつた際には、本部オルグとして交渉等にあたり、これを撤廃させた。また、昭和三三年に行なわれたいわゆる王子製紙争議の際には、中央闘争書記長、中央闘争副委員長として、これまでの企業内闘争から脱皮し時限ストライキを決行するなど、紙パルプ産業労働者の連帯強化を高めるための指導等を行なつた。

(ニ)、昭和三六年から昭和三九年まで本部書記長、中央執行副委員長、中央執行委員長の役職を歴任し、その間毎年の春季賃上闘争では従来の取組みとは異なり、第四波から第六波の統一ストライキを決行し、被告側の激しい攻撃のなかで労働者の生活向上を図るべく産業別統一闘争の強化発展のため組合の中心的な指導者として活躍し、なお、昭和三八年には他産業並みの大幅賃上げを獲得するのに成功した。また、前記合理化反対闘争では休日操業や連続操業における労働条件の引上げ、浪速工場三号機要員の増員等の要求のために闘い、八戸新工場建設に伴う従業員の諸要求を結実させるために合理化討論集会を開催し、合理化対策の強化を指導した。一方、安全問題では、昭和三八年に発生した浪速工場死亡災害事故につき災害調査団長として被告の責任追及、災害原因の調査、安全対策等に取組み、また昭和三九年に発生した高砂工場じん肺問題では安全対策部長として職業病全般についての組合員の意識を高めるために闘つた。

(ホ)、昭和四〇年二月、浪速支部長中田英男に対する不当労働行為事件、同年八月、元京都支部長戸田忠典に対する不当労働行為事件につきそれぞれ地労委で被告の不当性を証言し、同年七月の中川支部組合員榎本諭道に対する懲戒解雇については不当解雇であり撤回するよう本社、中川工場に抗議した。

(ヘ)、この間、昭和三九年九月から約一か月間紙パ労連訪中団の一員として、中華人民共和国を訪問し、帰国後一年間にわたつて組合機関紙「労郷」に訪中記を掲載し、社会主義国家の実情を報告した。

(2)、原告藤田は左記活動を行なつた。

(イ)、昭和三三年浪速支部青婦部副企画委員長に選ばれ、教育宣伝部を担当し、青婦ニユース発行の定期化等の教宣活動によつて青年労働者の指導啓蒙をはかり、また青婦部各機関の運営を軌道に乗せるため努力した。さらに前記王子製紙争議に際しては、その支援のため王子製紙労組春日井支部へ集団オルグをしたり、街頭カンパを組織したりした。そのほか警職法改悪反対闘争の際には、他の青年労働者と共に街頭署名活動に積極的に参加し、また女子従業員の出産休暇の欠勤扱いの問題については、その廃止を要求し、これを実現させ、その他青年婦人労働者の団結を強化するためリクリエーシヨン活動を活溌に行なつた。

(ロ)、昭和三四年の春闘時には、情報宣伝部員として壁新聞の発行など教宣活動に積極的に取組んだ。

(ハ)、昭和三五年には、再び右支部青婦部副企画委員長となり、前回同様積極的な活動を進めたがとくに調査部長として、春闘時に住宅手当増額要求運動を組織した。

(ニ)、昭和三六年には右支部調査部員、教宣部員として活溌に教宣活動を行ない、とくに春闘時には同支部闘争委員として闘争の指導等に当つた。

(ホ)、昭和三九年には、右支部執行委員に選ばれて調査部を担当し、八戸新工場建設に伴う転勤問題についての希望意見や春闘における要求の調査等の活動を進め、また安全衛生、給食等の委員会に組合側委員として出席し、福利厚生問題についても積極的に活動した。また高砂工場におけるじん肺問題に関連して、被告に対し粉塵除去設備の整備強化やじん肺検診を要求し、これを実施させた。さらに、米原潜寄港反対集会開催に際しては、被告の工場内での政治活動禁止の申入れに抗議し、組合員に参加を呼びかけるなどして闘つた。なお春闘時には中央闘争委員として団交に参画した。

(ヘ)、昭和四〇年七月被告や組合批判グループの悪意ある宣伝と組織介入により、右支部執行部に対する不信任決議がなされたが、翌八月執行部改選の際執行委員に立候補し、その選挙活動を通じて被告の不当な組織介入を訴えた。

(3)、原告沼田は左記活動を行つた。

(イ)、昭和三三年一〇月浪速支部青婦部班委員となり、前記王子製紙争議、警職法反対闘争に参加し、また歌声運動を通じて他企業の労働者との交流を進めた。

(ロ)、昭和三四年右支部青婦部企画調査部長あるいは調査部員に選ばれ、青婦部の文化レクリエーシヨン活動を指導し、また歌声祭典などに組合代表として参加した。

(ハ)、昭和三六年右支部青婦部副部長、調査部長、昭和三七年から昭和四〇年まで右支部執行委員(昭和三七年には青婦部議長を兼任)に選ばれ、被告支援下の組合批判グループによる労使協調路線推進運動にも屈せず、引続き歌声文化活動を展開するとともに、浪速工場三号機要員闘争三号機死亡災害事故に対する被告の責任追及闘争および中田浪速支部長不当配転、暴行事件につき執行委員として中心的な活動をした。また組合が積極的に取組んでいたじん肺による職業病問題、労働強化合理化反対闘争を下請労働者の中にも繰り広げることに努め、下請会社浪速通運従業員の組織化などに活躍した。さらに昭和三九、四〇年には、教宣部長として日刊機関紙の発行、ビラ配付活動を積極的に行なつた。もつとも、前記昭和四〇年七月の浪速支部執行部不信任決定で、右役職から解任されたが、翌八月および昭和四一年八月の各執行部改選の際右支部書記長に立候補し、その選挙運動を通じて被告の不当性を訴えた。

(4)、原告大野は左記活動を行なつた。

(イ)、昭和三六年九月浪速支部青婦部班委員となつて他企業の青婦部との交流会等の行事に参加するうち、労働者の連帯の必要を考えるにいたりそのころから活溌となつた被告のアカ攻撃、職制支配などに抗してしばしば職場集会を開催し職場闘争を組織した。

(ロ)、昭和三七年右支部青婦部企画委員長に選ばれ学習部を担当し、青年労働者のあり方についての討論集会を指導したり、労働大学に参加したりした。また春闘時には男女格差の問題と取組んだ。

(ハ)、昭和三八年右支部代議員に選任され、職場委員と協力して職場の声を組合の機関に反映させる活動を行なつた。

(ニ)、昭和三九年再び右支部青婦部企画委員長に選ばれ、米原潜寄港反対集会「東海の歌声」あるいは「日本の歌声」等の文化活動に参加するなど外部活動を多面的に行なつた。

(5)、以上のとおり、原告らは組合員としては思想、信条の自由を守り、産業別統一闘争を推進し、また労使協調打破のために、また労働者としては日本の平和を守り、民主主義を擁護し、かつ労働者の国際連帯強化のために、一貫して積極的に活動してきたのである。

(二)、被告は、徹底したアカ攻撃、組合の企業内への封込め、および労使協調の強化を目標として、これと対立する立場に立つて、前記のとおり積極的に活動していた原告らに対し、これまでにも次のとおりあらゆる攻撃を加えてきた。

(1)、原告らが組合の重要な役職を占め組合活動に積極的に取組んでいた時期には、被告は組合幹部に対するアカ攻撃と従業員に対する思想工作を重視し、昭和三六年頃から社内報「勤労ニユース」を発行して反共宣伝をするとともに、反共思想家らによる講義を組合員に強制的に受講させ、また労使協調の立場をとる組合批判グループを積極的に支援し、組合役員選挙にも露骨に介入した。

(2)、昭和四〇年九月原告らが組合の役職から去り、一組合員になつた時期以降には、被告の攻撃も一段と強化され、特に思想、信条による差別が強まり、職場全体におよんだ。すなわち、

(イ)、遠藤浪速工場長は、昭和四〇年九月本部役員退任の挨拶にきた原告篠原に対し、役員在職中の行動を強く非難したほか、昭和四一年一月五日の新年挨拶の中で、共産党員と民主青年同盟員の徹底的排除を公言し、さらに同月三一日の浪速工場閉鎖発表に際しても、工場内に左翼思想を持ち工場閉鎖について種々デマをとばす者がいるが、これに惑わされて泥沼闘争に陥らないよう充分注意されたい旨を述べ、暗に同原告を非難した。

(ロ)、被告支援下に結成された「はげみ会」発起人の原料課山本職長は、昭和三九年七月、原告藤田の原料課配転に先立つて、同原告が思想的にかたよつているから注意するようにと同課の職員全部に警告し、さらに同年一二月一三日組長を集め、同原告は共産党員であるから注意するとともに、これを全員に徹底させるように述べ同月一五日には、直接同原告に対し、労使協調路線の妥当性を説き、いわゆるスケジユール闘争を非難し、併せて共産党バツジ交付の相手方等につき質問した。

(ハ)、職制の宮本は昭和三八年八月と昭和三九年八月の二回にわたり原告沼田に対し、執行委員立候補の取止方を勧告し、また同年一二月同原告が第一製紙闘争にオルグとして参加した際、右職制はこれを非難した。さらに同原告が、三菱バツヂを受け取らなかつたところ、研究課の法月課長、職制の西山は同原告を非協力者であると非難し三菱マンとしての誇りをもてないのなら辞めろと退職を迫つた。

(ニ)、原告大野が昭和三九年三月の春闘に際し「大幅賃上げ」のワツペンをつけていたところ、法月課長が右ワツペンをとらねば服装違反だと注意した。また、同年四月同原告が同僚と屋久島に登山に行つたところ、前記反共思想家らによる講義のとき、「工場内に民青がいて沖繩へ基地返還の要求に行つた。これは企業の破壊者だ」と事実を歪曲して中傷された。さらに同原告が昭和四〇年一二月三菱バツジを受取らなかつたところ、非協力者だとして、辞めろなどといわれた。

(3)、昭和四一年初め浪速工場閉鎖が発表された後は原告らに対する差別、中傷は一層強まり、原告らを思想信条を理由に企業から排除しようとする被告の意図がいつそう明らかになつた。すなわち、原告ら全員に対する例をあげれば、同年三月二五日前記浪速工場長が全従業員にビラを配付し、一部破壊者の煽動に乗らないよう警告し、同年四月二八日職制が八戸紙業の実習生に対し、原告篠原は共産党、同沼田、同大野らは民青同盟員であるから注意するようにと警告し、同年五月二一日塩川安全講師が職、組長に対し工場内の共産党員の動静に注意するよう述べ、また同年八月二六日右浪速工場長がビラを配布して、被告を敵とする一部破壊分子が最後の策動に狂奔しているが、これに乗ぜられると、将来に禍根を残す旨、翌二七日、一部企業破壊分子に協力した者は徹底的に排除される旨をそれぞれ警告した。さらに同年九月三〇日落合新浪速工場長は就任挨拶の中で一部破壊分子の排除が自己の任務である旨を述べた。

(4)、なお浪速工場閉鎖発表後の原告ら個々に対する差別的取扱いの実情は、左記のとおりである。

(イ)、法月課長は、昭和四一年二月一二日原告篠原の同僚金子、北浜らに対し、同原告との面談を禁じたが、同課長の意を受けた林組長は同月一九日の職場集会で、同課長から同原告と面談した者の報告を命令されている旨を述べた。また同年三月一日職制の山本、戸村は、同原告と話をしたその同僚の河野に対し、面談の理由を質問し、さらに翌二日職制の戸村は同原告の職場の同僚らに対し同原告はアカだから注意するようにと警告した。なお、同年五月二七日仕上課全員が酒席を共にしたが、その際同原告は意識的に除外された。さらに、同年八月三〇日前記落合、戸村らは同原告を呼び、同原告が組合の役員選挙に関連して他の従業員を強迫したと中傷し、中田支部長に対する不当労働行為事件の地労委における前記証言を非難し、また同年九月一四日前記武末部長は同原告を退職させる意図のある旨の発言をした。なお同年一〇月八日以降同原告の仕事である選別作業を、同僚とは別に同原告ひとりで行なわせるなどして、その孤立化をはかつた。

(ロ)、昭和四一年一〇月伊藤職長は原告藤田に対しこれまでの行動を反省し、考え方を改めるよう勧告し、また同月二二日飯塚課長は同原告に対し、デモ行進参加ないし加入組織等の有無、その他思想、友人関係等を質問した。

(ハ)、原告沼田は、昭和四一年六月一号機の停止に伴い、日常作業から外された。また、同原告は同年八月五日トイレに行つたことで、職制の西山から無断で一五分間も離席したと注意され、これに対し同原告が、「何か仕事ですか」と尋ねると、翌六日午前中法月課長から右注意に口答えしたと難詰された。さらに同原告は、同日午後落合工場次長、法月課長、職制の西山らに呼ばれ、「無断離席は職場離脱だから処分する。職制に対する態度が生意気だ。執行委員時代の無茶を反省していない。非協力者は辞職しろ。」などと非難された。そして同原告がトイレの長いのは痔のためであると弁解し、診断書まで出したのに、同年九月一〇日無断離席の注意に反撥したとの理由で減給半日の懲戒処分に付された。さらに、同原告が同年八月二六日から三〇日まで休暇をとり真実高知へ旅行していたのに翌三一日法月課長は同原告が右期間中大阪に滞在していたとして、その間の行動を詰問した。また、同年九月以降、同原告がしばしば催促したにもかかわらず、職制の西山は「待機しろ」というのみで同原告を仕事につけなかつた。

(ニ)、原告大野は昭和四一年七月病気で入院していたが、その際右武末部長は病院に赴いて担当医に対し、「大野は社会運動をしている反社会的な人物だ」と述べて職場復帰の可否を執拗に尋ねまた同年九月五日法月課長は退院後の出勤挨拶に赴いた同原告に対し、同原告が職場委員選挙で良心的な候補者に反対票を入れたと非難した。そして、同原告は退院後仕事も殆んど与えられていなかつたところ、被告側主催による同年一一月三〇日の三分間集会において、右武末部長は暗に同原告を近いうちに辞めさせる旨を述べた。

(三)、さらに、被告は、浪速工場の閉鎖に伴う転勤問題をめぐつて、左記のとおり原告らを差別的に取扱つた。すなわち、被告は、他の従業員らが既に、転勤し、あるいはその転勤先が決定していたにもかかわらず、原告らとの転勤交渉を、なんら合理的理由もないのに昭和四一年一二月中旬まで延引したうえ、右交渉に際し原告藤田が大阪営業所または倉庫を、その余の原告らが京都工場をそれぞれ希望しているのに、原告らが希望する右転勤先での収容の可否等を全く検討することなく、また原告らの勤怠状況、技能、技術等をなんら考慮することなく、単に、その思想、信条等を各工場の勤労課長らが嫌悪し受入れないという理由で、誰ひとりとして転勤者のない、しかも原告大野を除くその余の原告らにとり職種の変更を伴う駐勤所を、また原告大野に対し、別段の希望もしていない中川工場をそれぞれ転勤先として提示したうえ、昭和四二年四月一日には、最終的勧告として右転勤先に転勤するか退職するかの二者択一を迫つたのである。しかしながら、組合員の完全雇用、その意向の尊重、および強制転勤の禁止を骨子とする四・一五協定、ならびに右協定締結までの団体交渉の経過によれば、被告は強制的な転勤命令も解雇もできないし、また駐勤所はもともと転勤先に含まれていないのであるから、被告の右態度は、明らかに四・一五協定に反し原告らを差別するものであつた。

(四)、ところで、原告らは、前記のとおり組合が原告らを除名したので、やむなく昭和四二年九月一六日被告に対し転勤に応諾する旨の回答をしたが、被告は原告らの右回答をなんら顧慮することなく、同月一八日組合のなした解雇要請を受け入れて、直ちに原告らに対し本件解雇の意思表示をした。しかしながら、本件協約四条のユ・シ条項は前記のとおり尻抜けユニオンであるから、原告らの右回答はまさしく同条但書にいう「解雇を不適当と認める事情」に該当し、被告としては組合の右解雇要請に対し異議をとなえる余地が十分にあつたのである。けだし、本件除名はもともと被告において解決すべき原告らの転勤問題に端を発しているものであり、しかも右除名後組合から右協約四条の適用要請を受ける以前に原告らが右除名の原因となつた転勤に応ずる旨被告に回答した事実等からすれば、被告としては組合に対し、事情変更を理由に右解雇要請につき再検討を求め、他方で原告らに対し、右回答に至る経過を調査確認したうえで、組合の右除名決定に変更がなくても、右協約四条但書を適用し、原告らを解雇しないですませることもできたはずだからである。

しかるに被告は右手続をなんらふむことなく直ちに前記のとおり原告らを解雇したものである。

(五)、したがつて、本件解雇は、原告らの思想、信条を嫌悪し、かねてから原告らを企業外に排除しようと企てていた被告において、組合が統制の対象に全然ならない原告らの行為をとらえ、右行為を理由に原告らを除名したのを幸いとして、これを口実に行なつたもので、実際は原告らの思想信条を理由とした解雇にほかならないから、右解雇は憲法一四条、一九条、労働基準法三条ないし民法九〇条に違反し無効である。

5、被告は、本件解雇後原告らの就労を拒否し、その賃金等を全然支払わない。しかしながら、右解雇が前記のとおり無効である以上、被告は原告らに対しこれを支払う義務がある。

原告らは、本件解雇当時毎月二〇日それぞれ別表(三)賃金明細表記載の基準内賃金の支給を受け、また昭和四一年度年末一時金および昭和四二年度夏期一時金として同表「期末一時金」欄記載の各金員の支給を受けたが、本件解雇が前記のとおり無効である以上、被告は原告らに対し、右解雇後の昭和四二年九月二一日から昭和四三年五月二〇日まで二四三日間の未払賃金、および同年五月二一日以降の賃金をそれぞれ支払うべき義務がある。そこで、右基準内賃金、および右一時金を基礎として、右未払賃金ないし右賃金の額を計算すれば(その計算関係の詳細は別表(三)賃金明細表の「算出の根拠」の項にそれぞれ記載してあるとおりである)、別表(二)賃金一覧表記載の各金額となる。

6、よつて、原告らは被告に対し、原告らが被告の従業員であることの確認を求めるとともに、併せて、前記昭和四二年九月二一日から昭和四三年五月二〇日までの間の前記未払賃金額および昭和四三年五月二一日以降毎月二〇日かぎり前記賃金額の各支払を求める。

二、被告の答弁

1、請求原因1、2の事実(当事者および本件解雇の意思表示についての原告らの主張事実)は認める。ただし、従業員総数は当時約四、三〇〇名であり、白河工場、北上工場は昭和四一年四月一日白河パルプとの合併に伴い被告の工場となつたものである。

2、同3のうち、被告が昭和四一年一月三一日八戸新工場の開設および浪速工場の閉鎖を含む全社体質強化計画を発表し、同年四月一五日組合との間に四・一五協定を締結したこと、被告が原告らに対しその主張の転勤先を提示したこと、被告が昭和四二年四月一日最終的勧告をして原告らの再考を促したこと、同年五月一日被告・組合・原告らの三者構成による話合がもたれたこと、および組合が同年九月一六日原告らを除名したこと、以上の事実は認めるが、その余の事実はすべて争う。

3、同4、(一)(原告らの活動歴)のうち、(イ)、原告篠原関係で、同原告が昭和二九年から昭和三三年まで浪速支部執行委員、右支部書記長、同年から昭和三五年まで本部書記長、中央執行副委員長、浪速支部長であつたこと、被告が浪速工場工作課の要員削減を提案したこと、王子製紙争議に関連して時限ストライキ(昭和三三年一二月二一日、一時間)が行なわれたこと、同原告が昭和三六年から昭和三九年まで本部書記長、中央執行副委員長、中央執行委員長の地位にあり、その間毎年第四波から第六波の統一ストライキが行なわれたこと、組合から休日操業、連続操業条件の引上げ、浪速工場における三号機要員の増員交渉および八戸新工場建設に伴う諸要求のあつたこと、昭和三八年一一月二一日浪速工場で死亡災害事故があつたこと、昭和四〇年三月高砂工場でじん肺問題につき組合から要求のあつたこと、同原告が地労委で証言したこと、同年七日榎本諭道の解雇に対し組合が本社および中川工場に抗議をしたこと、(ロ)、原告藤田関係で、同原告が昭和三九年七月原料課へ配転されたこと、同職場に坂本裕(ただし作業係)が勤務していたこと、同原告が同年浪速支部執行委員になつたこと、米原潜寄港反対集会の開催に際し、被告が工場内での政治活動禁止の申入れをしたこと、昭和四〇年八月右支部執行部に対する不信任が決定されたこと、(ハ)、原告沼田関係で、同原告が昭和三七、八年右支部執行委員であつたこと、中田支部長に対する配転暴行事件のあつたこと、(ニ)、原告大野関係で、同原告が昭和三八年組合代議員に選ばれたこと、以上の事実は認めるが、その余の事実はすべて争う。

同4、(二)ないし(五)の事実はすべて争う。

4、同5の事実はすべて認める(もつとも、交通費は現実に工場等へ勤務した従業員に対してのみ支払うべきものである。)

三、被告の主張

1、本件解雇に至る経緯は左記のとおりである。

(一)、被告浪速工場は、抄紙機三台、従業員約三〇〇名で板紙を製造していたが、使用機械が小型で、生産効率が悪いことや、用、排水および原料面の事情等からたび重なる合理化にもかかわらず収支は引き続き赤字であつた。そこで、八戸新工場建設計画が具体化していく中で、昭和四〇年五月設置にかかる合理化推進委員会で検討した結果、浪速工場は右事情から業界での競争力に欠け、また大型機械の設置も不可能であることなどを考慮し、工場閉鎖も止むを得ないという結論に達した。そこで、被告は、昭和四一年一月三一日右工場の閉鎖を発表し、翌二月から右工場の従業員全員に被告の方針を説明し、その理解と協力を求めるとともに、あらかじめ右従業員の身上調査を実施することにして、各自の家庭事情や転勤の可能性等の把握に努めた。他方、被告は組合とも協議のうえ同年四月一五日に四・一五協定を締結したが、右協定により抄紙機三台のうち一号機は同年五月末日、他の二機は同年一二月末日にそれぞれ停止することになつたので、被告は右停機計画、他工場の受入れ態勢、従業員の希望等を調査検討した結果、同年四月二一日第一陣として八戸新工場へ四一名、中川工場へ一三名、同年六月一〇日第二陣として八戸新工場へ四五名、中川工場へ九名をそれぞれ転勤させた。しかし、同年三月下旬ごろから一身上の都合で退職する者が相次いで出たので、被告は、浪速工場の年内操業継続に必要な従業員を確保する必要に迫られた。そのため、第二陣の右転勤が終了した以降は、転勤希望の強い従業員の場合を除き、被告側から積極的に転勤を推進する余裕はなかつた。もつとも、同年一〇月から二・三号機が交互に運転できるようになり、また同月末頃には大阪営業所および倉庫の新設構想が具体化したので、被告は同年一一月から従業員との間に転勤のための個人交渉を再開した。そして、昭和四二年三月末までには原告らほか二名を除く他の全従業員の転勤先等が決定した。

(二)、原告らは、四・一五協定成立後転勤先として関西地区の京都、または大阪を希望する旨を申出ていたので、被告が右地区以外への転勤を承諾した者を対象として行なつた前記第一、二陣までの転勤では、原告らを対象からはずさざるを得なかつた。なお、被告は昭和四一年一〇月末までの間前記事情から積極的な転勤交渉を行なわず、一方原告らも右関西地区以外への転勤希望の申出を全然せず、なお同年一一月に再開した転勤交渉においても、原告らは依然従来の転勤希望先を固執し、改めようとはしなかつた。そこで、被告は、原告らを含む転勤先決定に困難がある者約二〇名について同年一二月中旬から総力を挙げて検討を加え、同年末から翌年初めにかけてこれらの者に対し具体的な転勤先を提示して個人交渉に入つた。

(三)、ところで、従来従業員の転勤問題は、被告と当該従業員との話合がつかなかつた場合でも、別段これを被告、組合間の苦情処理事項あるいは団体交渉事項として取上げることはなかつたが、浪速工場の閉鎖に伴う転勤先決定については、四・一五協定によつてとくにこれを被告、組合間の交渉事項に加えることになつた。しかし右協定書三および四で、「会社は強制転勤を行なわない。」、「浪速工場全組合員の転勤について会社は組合員の意向を尊重する。」と定められた趣旨は、被告において従業員との話合の結果を待たずに転勤発令をしないという点にあるのであつて、別段右協定により転勤先を従業員の希望どおりにするという約束がなされたわけではなく、このことは組合も確認していた。しかるに、原告らは右協定の趣旨を曲解し、自己の希望地以外の転勤先を提示した被告の態度は協定違反であるとし、被告側の再三の説得にもかかわらず、転勤交渉に応じようとはしなかつた。しかも、原告らは、昭和四二年四月一日被告の前記最終的勧告も拒否したので、被告はやむなく前記協定の趣旨に則り、同月二一日組合に対し、原告らの転勤問題を円満解決するための協力を要請した。

組合は、被告の右要請を了承し、その結果同年五月一日、二日の両日中央執行委員長が浪速工場に赴き、浪速支部役員とともに、被告側、および原告ら同席のうえ三者構成による話合を持ち、右転勤問題の円満解決をはかるべく努力したが結局成功しなかつた。

(四)、しかるところ、組合は、右話合以後の組合に対する原告らの態度や言動が組合の統制に反するとして、原告らを除名した。すなわち、組合は、浪速支部長の中央査問委員会に対する告発に基づき、右委員会を四回開いて審議した後、右委員会の中央執行委員長に対する除名相当の査問決定を受けて、第三七回定期大会で原告らの除名の可否を提案、審議し、大会代議員四六名全員による直接無記名投票の結果、右提案を満票で可決した。ついで、組合は、組合員の除名には直接無記名投票による組合員過半数の賛成を要する旨の組合規約一四条により、さらに組合員全員による投票を実施したところ、投票総数四、〇〇五名(組合員総数四、〇八五名)中、除名賛成票数二、九〇〇名という過半数以上の賛成により除名決定がなされた。そこで、中央執行委員長が原告らに、その旨を通知したところ、原告らは同年九月一四日右委員長に対し、査問委員会規定二四条に基づき処分の軽減ないし除名の執行延期を求める旨の再審査の申出をした。そのため、右委員長は同月一五日組合大会を招集し、右申出について審議したところ、出席代議員全員一致で原告らの即時除名を可決した。そして、これにより原告らに対する本件除名が確定したので、同月一六日右委員長は原告らに対し、同日付通知書で右除名を執行し、その結果、原告らは同日かぎり組合から除名され、組合員たる資格を失なつた。一方被告は、組合から同日除名の通知、さらに同月一八日原告らに対する解雇の要請をそれぞれ受けたが、その際とくに組合役員から、右除名については組合規約に則り慎重審議し、組合員の全員投票においても高率で除名賛成決議がなされたものであり、組合の統制上「会社は、組合から除名された者を解雇する。」旨規定した本件協約四条(ユ・シ条項)により右のように即時解雇を要請するものである旨の発言があつた。ところで、被告は、これより先同月一六日原告らから被告がさきに提示した転勤先を受入れる旨の回答を受領していたので、同月一八日これを組合側に示したところ、組合側からは、これまで原告らから右転勤先を受入れる旨の話を聞いたことがなく、また前記各組合大会でも原告らは従来の主張を繰り返えしたばかりか、かえつて反組合的言動を敢てしたという理由で、組合として今更再考する余地は全くない旨の回答がなされた。

(五)、そこで、被告は、常務会にはかるなど慎重に審議した結果、原告らに対する本件除名は、組合が、その規約に従い、しかも組合員の絶対多数の賛成を得て決定した措置であることにかんがみ、前記ユ・シ条項によつて原告らを解雇するのもやむを得ないという結論に対し、原告らに対し本件解雇の意思表示をしたものである。

2、本件解雇は無効ではない。

(一)、本件解雇は右のように本件協約四条のユ・シ条項に基づくものであるところ、原告らは、本件除名が無効である以上、右解雇も無効であるというが、左記理由により右主張自体失当である。

(1)、右協約四条のユ・シ条項はいわゆる完全ユニオンである。

(イ)、右協約四条は、「会社は組合から除名された者を解雇する。ただし、会社がその解雇を不適当と認めたときは組合と協議して決定する。」と定めているが、昭和三四年四月被告と組合間で、右但書の運用に関して、「平常の場合民主的処置によつて除名されたら解雇する。」旨の確認がなされている。ところで、一般に完全ユ・シ協定を締結している労使間でも、平常でない場合すなわち労働組合の分裂などその組織上異常な事態が生じた場合には労働組合の統一的基盤を欠くに至つたものとして右協定の適用は否定されるのが相当であるから、右協約四条は、これを右確認事項と合せるとき実質的にはいわゆる完全ユニオンというべきである。

(ロ)、仮に、右協約四条の但書を字義どおりに解すべきであるとしても、本件の場合右但書を適用し組合と協議、決定する余地が全くなかつたのであるから、実際には、完全ユニオンの場合となんら異なるところがない。けだし右但書にいう解雇を不適当とする場合とは、業務上の必要により解雇が不適当である場合を指称するものと考えられるところ、当時原告ら勤務の浪速工場は既に閉鎖の段階にあり、また原告らは余人をもつて替えがたい程の技能、経験を有するものではなかつたから、被告が原告らを解雇するにつき、組合と協議しその再考を求めるべき業務上の必要性は少しもなく、むしろ当時の状勢すなわち本件除名に至る経過、右除名決議の票数、その他被告が前記昭和四二年九月一日原告ら作成の前記回答書を組合幹部に示して再考の有無を確かめたのに対し、その余地はない旨の返答があつたこと等からみて、組合に右但書に基づく協議を申し入れたとしても、到底右協議、決定をみる可能性がなかつたと考えられるからである。

(2)、ところで、もともと、ユ・シ条項はそれが完全ユニオンである以上、使用者に対し労働組合から除名された従業員の解雇を義務づける約定として労働組合法上も認められている制度であるところ、使用者には、右除名の理由ないし手続の当否等を審査すべき権限も責務もないから、明らかに除名の事実がないのに、組合が組合員を除名したと称して解雇要請をしたというような極端な場合はともかく、組合から手続的に正当な除名通知があれば、使用者は、ユ・シ条項により被除名者を解雇せざるを得ないのであつて、この場合右除名の効力如何により右解雇の効力が左右されるわけではないのである。したがつて、仮に本件除名がその効力を生ずるに由ないものであるとしても、それは、原告らの組合に対する除名無効確認訴訟もしくは損害賠償請求訴訟等により解決されるべき問題であつて、被告が原告らに対し、組合の正当な除名通知により、本件協約四条のユ・シ条項に基づいてなした本件解雇の効力にはなんら影響するものではないというべきである。

(二)、次に、原告らは、本件解雇は、原告らが組合から除名されたことに藉口し、実際はその思想、信条を理由としてなされたものであるから、無効であるというが、右解雇は前記のとおり本件協約四条所定のユ・シ条項に基づくものであつて、別段原告らのいうように右除名に藉口してなされたものではないのみならず、右解雇が原告らの思想、信条を理由とする不利益な取扱にあたらないことは、以下述べるとおりであるから、右主張も理由がない。

(1)、原告らの本件解雇に至る経緯は前記1、(一)ないし(五)で述べたとおりであるところ、そのそもそもの発端は、原告らが駐勤所等への転勤を拒否したことにあるが、浪速工場従業員の駐勤所(林材部)への転勤は、四・一五協定による転勤の範囲内として、当然あり得ることであつて、現に、実現こそしなかつたものの、昭和四一年六月同工場の二名の従業員が駐勤所への転勤を承諾していたのである。しかも、被告が原告らに対し駐勤所を転勤先として提示したのは、昭和四一年一二月頃のことであつて、被告はその所在地、業務内容、労働条件、生活環境等を当時すでに十分把握し、右提示にあたり、原告らにこれらの点につき十分な説明をした。しかも、右駐勤所がいわゆる山間僻地に位置しているものでないことは明らかであり、また原告らが右駐勤所に転勤しても、さらに再転勤の可能性もあるから、右駐勤所は浪速工場閉鎖段階における当面の原告らの転勤先としては十分考慮の対象となりうるものであり、したがつて、右転勤先は、原告らの側で具体的に検討すれば十分受入れることのできるものであつた。しかるに、原告らは、四・一五協定の趣旨を曲解し、転勤先としてあくまでも京都、大阪を希望し、右希望地以外の転勤先を提示する被告の態度は右協定違反であるとの主張をかたくなに固持したのである。また、前記昭和四二年四月一日の被告の最終的勧告といえども、原告らがこれに応じないとき処分するとか、解雇するとかいう趣旨のものではなく、円満調整の余地を残す弾力性ある要請にとどまるものであつた。そして、このことは、同年五月一日・二日の両日に行なわれた三者構成による話合の際、被告が、原告らの転勤先として駐勤所等を必ずしも固執するものではなく、しかるべき対案があれば検討の用意がある旨の弾力的な表明をした事実からも明らかであつた。しかるに、原告らは、右転勤先に行けない事情につき、被告を納得させる努力や組合の調整に応える態度を全く示さず、右転勤先につき専ら白紙撤回の要求、前記協定違反の主張に終始したのである。

なお、被告が原告大野を除くその余の原告らに対し駐勤所以外の場所を転勤先として提示し得なかつたのは、次の事情による。すなわち、被告は、各工場の勤労課長会議で検討したが、各工場とも人員縮少を必要とし、しかも右原告らの従来の言動から各工場の従業員の間に右原告らを受入れることに反対の意向が強かつたばかりでなく、右原告らそれぞれに前記のとおり転勤先として大阪、京都を希望する事情があつたにしても浪速工場の閉鎖等に伴い、八戸、白河、北上等の工場へ転勤した多数の従業員の間に、自説を固持して譲らない右原告らの取扱について、いわゆるゴネ得が許されるべきでないとの空気が次第に強くなり、被告としてもこれらの事情を無視できない状況にあつたからであつて、ことさらに右原告らを差別扱いしようとするものではなかつた。また原告大野に対しては転勤先として中川工場を提示していたのであつて、同原告がこれを受入れられない事由は全くなかつたのである。

(2)、被告が原告らに対し、転勤先として駐勤所あるいは中川工場を提示したのは、右のような理由に基づくものであつて、別段原告らを差別扱いしようとしたことによるものではなく、いわんや、本件解雇が原告らの思想、信条を理由としてなされたものでは毛頭ないのである。

四、補助参加人の主張

1、本件除名に至る経緯は左記のとおりである。

(一)、被告が昭和四一年一月三一日浪速工場の閉鎖を発表した結果、同工場組合員の間に多大の動揺が起り、右閉鎖に絶対反対する旨の意見や、条件闘争を押し進めるべきである旨の意見等が出て、組合員は不安な状況にあつた。そこで、組合は、組合および組合員にとつて最も有利な結論を集約するため、職場委員会の開催やアンケートの実施などにより組合員の意向を聴取しつつ同年三月二九日から同月三一日までの間、中央委員会等において対策を検討した。その結果、組合としては、組合員の利益を守り、その生活権と労働権とを確保するとともに、組合の組織を維持し、かつその団結を確保するために、右閉鎖に伴う転勤等については、組合員の完全雇用を基調として強制転勤や希望退職募集を認めず、なお右転勤に関しては組合員の意向を尊重する趣旨の要求をなし、右要求がいれられないときは、右閉鎖反対斗争を行なうとのいわゆる対置要求をもつて被告との団体交渉に臨むことが最善の方策であるとの結論に達した。そして、その後組合は、同年四月一日から被告と団体交渉を重ねた結果、同月一五日両者間に四・一五協定が成立し、これにより、被告は、右閉鎖に伴う希望退職者の募集を行なわず、また転勤についても、対象者たる各組合員と十分に話合い、その希望を完全にいれないまでも、これを尊重して転勤先の予定枠を多少広げるなど、各組合員の希望にできるだけ添い得るよう努力し、業務命令による強制転勤は行なわないことが約定されたのである。

(二)、ところで、従来、被告の従業員の転勤につき、本人の意向が尊重されるのは当然のことであつたが、既存の協約等では、組合員が転勤先に不満を示しても、被告は業務命令で転勤を強行することができたのであり、その際組合にはこれを拒否する権限がなかつた。ところが、浪速工場の前記閉鎖に伴い、予想される三〇〇人もの大量の異動については、四・一五協定により、被告が行なう可能性のあつた退職者の募集、指名退職あるいは強制転勤を前記のとおり封じたのである。しかも、右協定成立に至る団体交渉において、転勤につき組合員と被告間で話合による解決がつかない場合には、組合の本部あるいは支部が組合員を支援する立場で交渉に参加することにより解決をはかるべきことが確認されたのである。したがつて、右協定は、組合の組織維持と組合員の利益擁護に大いに資するものであつて、組合の前記方針に照らし最善の解決策であつた。

組合は右団体交渉の経過および右協定の趣旨については、その成立の前後を通じて組合員に対し教宣活動を行ない、その理解を得るよう努めていたから、当時組合員らはすべて十分にこれを知悉していた。そして、多数の組合員は当初の希望先に固執せず、幾多の困難を克服して話合の中で新たな転勤先を求めて転勤して行つたが、一方原告らは、浪速工場閉鎖反対等を唱えて被告の不当性を追及し、とくに転勤先は本人の希望どおりにすることが四・一五協定の趣旨であると主張して、被告との個別的調整ないし話合等に全く誠意を示さなかつた。このように、原告らは大部分の組合員の転勤先が決つた昭和四二年春頃になつても依然自己の主張を固持して他の組合員や組合の立場をなんら考慮せず、かつ転勤に対する従来の態度を全然変えなかつた。

(三)、組合は、原告らの転勤交渉が進展しないのを憂慮していたところ、同年四月一〇日原告らから被告との話合の場を斡旋してもらいたい旨の申入れがあり、また被告からも同月二一日同趣旨の要請があつた。そこで、組合は、同月二七、八の両日中央執行委員会を開いて、右転勤問題の早期解決と原告らの生活権、労働権を確保するために、原告らと被告および組合の三者構成による話合の場をもつことを決定し、被告と協議のうえ同年五月一日から浪速支部で右話合を行なうことを決定した。なお、右三者構成による右話合は被告と組合間の労働協約上の団体交渉あるいは苦情処理ではないが、組合は四・一五協定に基づく義務の履行としてこれを行なうことにしたものである。そして、組合は、原告らに対し、右話合の日時等を連絡するとともに、右転勤問題については、いたずらに被告の不当性を追及するよりも、原告ら自身の生活権、労働権を確保するために、右協定の趣旨に添い、具体的な意見や家庭事情等を明示してこれが解決をはかるよう指示した。

(四)、しかるに、原告らは被告がこれまでの差別的取扱を白紙撤回しないかぎり、転勤問題につき具体的な話合はできないなどと述べて、あくまで被告の右不当性を追及し、これができなければ出席を拒否するという態度を示した。そこで、組合は原告らに対し、右不当性の追及よりも四・一五協定の履践が第一であるから、右話合の場で転勤についての具体的な希望や事情を開陳し、問題解決に、前向の努力をすべきであり、もし右話合の中で被告の不当性が明らかになれば、組合としても、原告らとともにこれを追及することを拒むものではない旨強力に説得して、原告らを右話合に出席させた。

ところが、原告らは、右話合の席でも依然被告の従来の態度を激しく追及し、被告が前記差別的取扱いの白紙撤回に応じないかぎり、具体的な話合に応ずることはできないという態度に出たので、組合は再三にわたり前同様の説得をなし一方、被告も原告らに対し、既定の転勤交渉先に拘泥せず、しかるべき対案も考慮することが可能であるから具体的な話合に応ずるよう要請した。しかし、原告らはこれを拒んだので、遂に実質的な話合はできなかつた。

(五)、このように、右転勤交渉についての話合が進展しなかつたのは、もつぱら前記中央執行委員会の決定を無視し、これに違反する原告らの前記言動によるものであるところ、組合は、原告らの右言動により四・一五協定の趣旨に添う調整を全く行うことができなかつた。そして、このことは、組合の統制力の弱さを露呈するものとして、被告や組合員との間に組合に対する強い不信感を醸成する結果を招来したが、一方組合は、既に転勤して行つた組合員らからもその責を問われ、苦境に立たされるなど、その組織の維持と団結の強化をはかるうえで放置することのできない極めて重大な事態を生ずるに至つた。

(六)、ところで、組合は昭和四二年五月四日の中央闘争委員会で原告らの前記言動は組合の機関決定を無視するものであるが、さらに話合の進展をはかるため、各人別に文書で希望や意見を徴することを決定し、直ちに原告らに対しそれぞれ文書で、組合の機関決定に従い、かつ転勤先についての各人の希望と意見を回答するよう指示した。しかし、原告らは、同月一一日連名で、「機関決定には従うが、転勤先は京都または大阪である。」と記した簡単な回答書を送付したのみで、各人の個別的、具体的な意見等は全く回答しなかつた。そこで中央闘争委員会は、被告との転勤交渉の必要上、さらに右回答を求めるべく、努力を重ねたが、原告らはなんらの回答もせず、右委員会の右指示を無視する態度をとつた。

(七)、このように、原告らは、組合の努力に背を向け、全く誠意を示さなかつたばかりか、かえつて機関決定自体が間違いであると非難したが、組合は、原告らの真の利益を考え、かつ、組合の組織維持、結束等を配慮して、さらに同月一一日の中央闘争委員会で、組合役員が直接原告らと面談し、意思の疎通と相互理解を深めることを決定した。そして、同月一五日右決定に基づき、中央執行委員長が浪速工場に赴き原告らと面接したが、その際も原告らは、転勤交渉に対する組合の取組方が間違つていると一方的に主張して約五分後に全員退席し、事実上右委員長との会談を拒否した。

また、翌一六日浪速支部役員が原告らと面接し、話合に応ずることと、機関決定に従うことの必要性を説得したが、原告らは相変らず自己の言動の正当性を強調し、組合がこれを規約違反というならやむを得ないと述べて、右説得を拒否した。

(八)、そこで、組合は、同月二一、二の両日に開催された拡大中央闘争委員会で原告らの行動は組合の秩序を乱し、組織に悪影響を及ぼす甚しい統制違反に該当するという理由で、原告らを戒告するとともに、なお話合の進展をはかるために、説得の続行を決定した。そして、右決定に基づき、同月二六日中央執行委員長が再び原告らと面接したうえ、「原告らが転勤問題に関する組合機関の再三に亘る指示に従わず、一連の分派行動をとつて組合役員らとの話合を拒否している言動と態度は容認できない。したがつて、中央闘争委員会は組合の統制と秩序を確保し、正常な組織運営を期するため原告らに反省を促し、原告らの従来とつてきた反組合的な不当な言動と態度を改め、組合各機関の決定、および統制に従うよう戒告する。」旨の戒告文を手交し、右戒告に対して返答するよう指示するとともに、話合に応諾すべき旨を要請したが、原告らは、なんらの回答もしなかつた。そこで組合は、同月二九日の中央闘争委員会で再度右指示に対する回答を求める旨の指令を発することを決定し、直ちに原告らに対しその旨指令したが、翌三〇日、原告らは、右指令にも従わないと回答したので、組合はやむなく原告らを除名したものである。

2、本件除名理由および手続にはなんらのかしもない。

(一)、以上のとおり、組合は原告らの生活権と労働権を守るべきであるという基本的立場にたつとともに、併せて組合の秩序を維持し、かつ一般組合員の利益を擁護するために、原告らに対し、組合の機関決定に従い、四・一五協定の趣旨に添つて、転勤問題を解決するよう説得を重ねてきたが、原告らは、「自分らは間違つていない。組合が規約違反、機関決定違反というなら、それもやむを得ない。」と反組合的態度を固持し、組合執行部を非難攻撃し、最後まで組合の指示に従おうとはしなかつた。そこで、組合は、その秩序と団結を維持し、組合運営の正常化をはかり、さらに一般組合員の利益を擁護するために、原告らを統制処分(組合規約五九条)に付せざるを得なくなり、その結果各支部における討議を経たうえ、所定の手続を経て原告らを除名するに至つたのである。なお、右除名に関する各支部の討議および組合大会の審議の際、一般組合員から、「原告らは真剣に転勤問題に取組んでいない」、「既に八戸工場等へ転勤した者の事を全く考えていない」、「原告らの行動が機関決定違反にならないというなら、我々の生活権は守れない」。等と原告らを非難し、あるいは組合が温情過ぎるとの声が多数あり、右除名は組合員の圧倒的多数の支持により可決されたものであつて、本件除名事由は全く正当である。

(二)、また、組合の統一支部規約六六条は、支部における違反行為の制裁規定であり、これによると、まず支部査問委員会が統制違反事件につき審査すべきものであるが、本件のように組合全体にとつて重大な統制違反行為があつた場合には、右条文によらず、組合全体の問題として中央査問委員会が直接事件の審査をすべきものである(組合規約五九条、査問委員会規定三条等参照)。しかも、本件では、中央闘争委員会において原告らの前記統制違反行為を直接中央査問委員会にかけるべきである旨判断、決定され、昭和四二年九月開催の組合大会においても、前記のとおりこれを承認しているのであるから、右統制違反行為が浪速支部長の告発により直接中央査問委員会において審査されたことに別段手続上の違反はなく、その他本件除名手続にはなんら規約違反のかしは存しない。

3、原告らの主張に対する反論

(一)、原告らは、組合が被告との間で決定した転勤先に原告らを転勤させる趣旨の機関決定をしたというが、組合のした「転勤についての機関決定」とは、原告らの転勤先をきめるについて、原告らが前記三者構成による話合の場に出席し、具体的な転勤先を決定するために前向きの姿勢で話合い、あるいは転勤先についての各人の具体的な希望や事情等を詳細に述べることを指示したものであつて、別段右機関決定は原告らのいうような趣旨のものではない。

(二)、また、原告らは、原告らが連名で前記回答書を組合に提出した行為をもつて、分派行動に当たる旨組合が非難したかの如く主張するが、組合はかかる形式的なことを問題としたのではない。すなわち、転勤に関する具体的事情等は、原告らによつてそれぞれ異なるはずのものであるから、組合は原告らに対し、個別に右事情等を聴取しようとしたところ、前記のとおり原告らはこれを拒んだばかりか、当時一体となつて組合の方針や機関決定の変更を強要する態度をとるに至つた。そこで、組合は、右は組織の無視ないし破壊につながる行為であり分派行動に当たると警告したものであつて、原告らのいうような趣旨で原告らを非難したものではない。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

第一、原告らの従業員地位確認請求について

一、被告が原告ら主張のような会社であること(ただし、従業員数を除く)、原告らがいずれも被告浪速工場従業員であり原告ら主張の作業係として勤務するとともに組合(補助参加人)の組合員でもあつたこと、および被告が原告らに対し、いずれも昭和四二年九月一九日付で原告らが組合から除名されたことを理由に本件協約四条(ユ・シ条項)に基づき本件解雇の意思表示をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二、そこで、まず、本件除名が原告ら主張のように無効なものであるかどうかについて、以下考察する。

1、右除名に至る経緯

(一)、被告と白河パルプとの合併問題その他成立に争いのない乙第九号証の一ないし四、第一〇号証、証人国分節夫、同沢山晴行の各証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)、被告は、製紙(抄紙)業を営み浪速、中川、京都、高砂の各工場で右業務を行なつてきたものであるところ、昭和四〇年九月、白河パルプを吸収合併し(ただしその効力発生時期は昭和四一年四月一日)、これに伴い北上、白河の二工場を設け、かつ、昭和四一年一月に浪速工場を閉鎖し、八戸工場を新設することを決定した。

(2)、被告は、白河パルプとの右合併および八戸工場の新設を機に、新たに製紙用パルプのもととなる原木、立木、およびチツプ買付等の業務も行なうことを決め、八戸、北上、白河の三工場に右業務を担当する林材部を設けるとともに、その出先機関として県庁所在地に出張所、その下に駐勤所をそれぞれ置くことになつた。

(3)、右駐勤所は、概ね人口三万前後の小都市の中心部に設けられ、その従業員は、所長以下四、五名程度で、主として農林関係出身者で占められ、また、その業務は、右林材部の末端機関として、右のような原木等の買付のほか、下請業者に対する運搬の依頼と管理等を行なうことであつた。

以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

(二)、浪速工場の閉鎖発表とこれに伴う四・一五協定の成立

前掲乙第九号証の一ないし四、成立に争いのない甲第三八、第三九号証、乙第一三号証の一、二、同第一七号証の一ないし三、同第一八号証の一、二、丙第二一ないし第二五号証、証人鍋田泰弘の証言により成立の認められる丙第四号証および証人鍋田泰弘、同山川寛、同国分節夫、同武末正孝の各証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 被告は、昭和四〇年五月に設置した合理化推進委員会の答申を受け、昭和四一年一月三一日全社体質強化計画を発表し、その中で前記のとおり浪速工場を閉鎖することを明らかにした。ところで右工場閉鎖の理由は、同工場の立地条件がきわめて悪く、用、排水に不便をきたし、特に用水については、従来使用していた中津川の汚濁が甚だしく、結局工業用水道にたよらざるを得なくなつた結果、コスト高となる等採算が立たないので、同工場を閉鎖し、その業務を八戸新工場で引続き行なうというにあつた。

(2) 右工場閉鎖の件は即日同工場の従業員らに告知されたが、さらに同年二月三日被告の社長、本社人事部長らが同工場を訪れ、全従業員に対し右閉鎖のやむなきに至つた事情等を説明して、平静にこれに対処するよう理解を求めた。ついで、被告は、同月五日同工場従業員全員を対象に、右閉鎖に関するアンケートを実施し、従業員の従前の経歴、家庭事情、転勤希望先等についての意見を徴し、さらに同月六、七の両日工場閉鎖についての説明会を開催したうえ、右アンケートの結果や説明会の状況等を参考にして、同月二一日同工場閉鎖計画の実施に関する具体案を発表した。そして、これによると、八戸新工場の必要人員は二〇二名他方中川工場の要員不足は八〇名、林材部関係の要員不足は三八名であつた。なお浪速工場従業員を八戸工場に受入れるために、その早期転勤と浪速工場備付の抄紙機三台の早期運転停止とをはかるが、顧客の都合もあり全機一斉の運転停止を避け、まず一号機の運転をできるだけ速やかに停止したうえ、同工場の従業員一〇八名を第一次に転勤させる計画となつていた。

(3) 一方組合は、被告の右体質強化計画に対し、職場委員会等を開き、あるいは中央合理化対策委員会を設けるなどしてこれを検討したが、当初は浪速工場を閉鎖するに至つたのは経営者たる被告側の責任であるから、組合としてはあくまで右工場の存続を要求していくとの態度をとつていた。しかし、その後右閉鎖に直接関係のある浪速支部所属の組合員の間から右閉鎖もやむを得ないとか、あるいは工場存続の要求は正当であるが、これを貫くのは無理ではないか等の意見が出るようになり、同支部が同月一〇日本部の指示によつて同支部組合員二八〇名余を対象に行なつた家族事情、財産関係、転勤意見に関するアンケートによれば右組合員のうち約二五〇名の者が右閉鎖やむなしとの意見であつた。そこで、組合は、同年二月二二日から同月二四日にかけて開催した前記中央合理化対策委員会で右工場閉鎖問題等につき種々討議した結果、被告に対し、(イ)、組合員の完全雇用、(ロ)、強制転勤禁止、(ハ)、希望退職の不承認、(ニ)、同時停機、全員同時配転を要求し、右要求がいれられないときは、浪速工場閉鎖に反対するとの、いわゆる対置要求闘争を行なうことに方針を変えた。ついで、組合は同年三月下旬頃開催した中央委員会で検討したうえ、(イ)、組合員の完全雇用、(ロ)、強制転勤の禁止、(ハ)、組合員の意思尊重、(ニ)、希望退職の禁止、(ホ)、転勤条件の向上、(ヘ)、社宅等受入計画の充実、(ト)、従業員のポストの保証などを要求して被告と団体交渉することを決定し、ここに組合としての最終的態度を確定した。

(4) そして、同年四月一日被告と組合とは団体交渉を開始し、種々討議を重ねたが、同月一五日両者間に、浪速工場の閉鎖に関し大要左記のような内容からなる四・一五協定が締結された(右締結の事実は当事者間に争いがない)。

(イ)、被告は浪速工場を閉鎖する。工場内の抄紙機三台のうち一号機は昭和四一年五月末日、二・三号機は同年一二月末日停機の予定である。

(ロ)、浪速工場従業員の強制転勤は行なわない。

(ハ)、浪速工場の従業員全員を各場所(設置予定の営業所、倉庫を含む。)に吸収することを基本とし、転勤について被告は従業員の意向を尊重する。

(ニ)、支度料諸手当等につき特別の取扱をする。

以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

もつとも、浪速工場の右閉鎖に伴う同工場従業員の転勤先については、右協定では、右のように「各場所」(設置予定の営業所、倉庫を含む)とあるだけで、前記駐勤所がこれに含まれるかどうかは必ずしも明らかでないところ、成立に争いのない甲第五号証、証人国分節夫、同山川寛、同沢山晴行、同武末正孝、同鍋田泰弘の各証言を総合すると、従来浪速工場には駐勤所に対応する職種は存在しなかつたから、同工場の従業員が駐勤所へ配転となると職種の変更を伴うものであるところ、駐勤所での前記業務は素人では難しく、被告としても当初浪速工場の従業員を駐勤所へ配転することはほとんど考えていなかつたし、また組合においても駐勤所につき事前の調査をしたわけではなく、従業員の転勤先としてこれが適当な職場であるとはみていなかつたこと、このような状況下において双方が四・一五協定に調印したのであつて組合はもちろん組合員らも被告から駐勤所を転勤先として提示されるということはほとんど予想していなかつたことが認められる。右認定に反する証拠はない。そうすると、四・一五協定自体は、浪速工場従業員の転勤先中に、駐勤所を含むともあるいはこれを除くとも明言しているわけではないけれども、右従業員の方で積極的に駐勤所への転勤を希望する等特段の事情の存するような場合は格別として、通常の場合には、駐勤所は被告の提示する転勤先中に含まれないものと一般に理解されていたとみるのが相当である。

(三)、浪速工場従業員の転勤状況および原告らとの転勤交渉

前掲乙第九号証の四、成立に争いのない甲第七号証、証人鍋田泰弘、同沢山晴行の各証言によつて真正に成立したものと認められる同第九号証、証人陳東芳彦(第二回)の証言、および原告本人篠原定夫同沼田雄至の各尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる同第二五号証、証人鍋田泰弘、同沢山晴行、同国分節夫の各証言によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証、証人武末正孝、同山川寛、同鍋田泰弘、同沢山晴行、同国分節夫の各証言、ならびに原告本人篠原定夫、同藤田明、同沼田雄至の各尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)、被告は、四・一五協定成立後の昭和四一年四月二一日八戸工場に四一名、中川工場に一三名をまず転勤させ、さらに浪速工場一号抄紙機の運転停止後の同年六月初頃八戸工場に四五名、中川工場に九名を転勤させたが、その後同年九月末日までに三九名という予想以上の者が退職したため、残る二機の抄紙機の運転要員を確保する必要に迫られ、八戸工場に同年八月五名、同年一〇月三名、中川工場に同年一〇月七名白河工場に同年一〇月二名、以上合計一七名の従業員を転勤させたにとどまつた。

(2)、被告は右要員問題が解消した同年一一月中旬以降から翌一二月初旬にかけて再び転勤交渉を積極的に実施し、その結果、浪速工場における同年一一月二〇日現在の従業員は、(イ)、部、課長その他のスタツフで何時でも転勤可能な者一二名、(ロ)、退職希望者三四名、(ハ)、新設の大阪営業所および倉庫に収容予定の者三九名、(ニ)、中川、白河、八戸の三工場に転勤決定した者一六名、および、(ホ)、転勤先未決定の者二〇名となつた。もつとも、右のうち、(ハ)の大阪営業所等への収容予定人員のうち、営業上必要な者は一八名であり、その余は、作業補助者として、停年に近い者、病弱者、婦女子などいずれも転勤不可能な者であつた。また、(ホ)の転勤先未決定者の中には原告らが含まれていた。

(3)、浪速工場側は、同年一二月初頃原告らを含む前示転勤先未決定者二〇名につきさらに転勤交渉を重ねたが、いずれも個人的事情を強調し、あるいは自己の希望する転勤先を固執して譲らないため、右交渉は全く進展しなかつた。そこで、右二〇名の転勤問題については、被告本社が直接調整に当ることとなり、同月一二、一三の両日右本社で開いた人事部長、および各工場の勤労課長を構成員とする勤労課長会議において、右二〇名の措置につき検討した結果、高砂工場で九名、中川工場で二名、京都工場で五名、合計一六名を受け入れる方針を内定した。ついで同月二二、二三の両日開いた工場長を構成員とする場所長会議において、右内定結果を再確認し、さらに転勤交渉をすすめることを決定した。

(4)、ところで、原告らのうち、これまでに原告篠原は浪速支部長、本部執行委員長等を、原告藤田、同沼田はいずれも浪速支部青婦部副部長、同支部執行委員等を、原告大野は同支部青婦部部長、同支部代議員等をそれぞれ歴任し、被告の合理化計画に反対するなど組合活動を積極的に推進してきたのであるが、昭和四〇年八月に行なわれた役員選挙で、批判グループの対立候補にいずれも敗退し、その後は単にいわゆる平組合員にすぎなかつたし、なお原告大野は病弱で、昭和四一年七月から九月にかけて入院したこともあつた。しかるところ、原告らについては、協調性に乏しい等の理由で、従来各工場ともその受入を拒否していたものであるところ、前記場所長会議で原告大野を中川工場に受け入れることに内定したが、その余の原告らについては、右協調性の不足等を理由に、協調性に余り関係のない駐勤所に転勤させることとなり、右場所長会議で承諾をえたうえ、原告らと交渉することになつた。

(5)、被告は、前記場所長会議の結果に基づき同年一二月二九日から翌昭和四二年一月中頃までの間に原告篠原に対し山形県小国駐勤所、原告沼田に対し岩手県久慈駐勤所、原告大野に対し中川工場、また同年三月一五日原告藤田に対し岩手県岩泉駐勤所、をそれぞれ転勤先として提示したが(右提示の事実は当事者間に争いがない)、これより先四・一五協定成立後の昭和四一年五月頃被告が転勤先等についての調査を行なつた際、家庭あるいは住居の事情等から、原告篠原は京都、その余の原告らはいずれも大阪を希望していた関係もあつて、原告らは被告提示にかかる右転勤先への転勤を拒否した。

(6)、そこで被告は、本社人事担当者も加えて原告らに対する転勤交渉を更に積極的に推進することを決め、同年三月二三日人事部長が浪速工場に赴き同工場長、同工場次長らとともに原告らの交渉に当つたが、その際、その後の駐勤所関係の人事異動等を考慮し、改めて原告篠原に対し福島県田島駐勤所、原告藤田に対し宮城県古川駐勤所、原告沼田に対し前記岩泉駐勤所、原告大野に対し前同様中川工場をそれぞれ提示(右提示の事実は当事者間に争いがない。)したうえ、個別に一時間ぐらいずつ個人的事情等を聴取した。そして被告側では京都工場については、現在過員削減中で原告らを受け入れるポストがなく、特に同工場では、製紙とは全く異なる感材関係の仕事をしており、原告ら五名にとつて技能習得がむづかしいこと、および原告らの過去の言動から同工場側は受入れに難色を示しており、チームワークの必要な仕事上、協調性に乏しい原告らを同工場に配転することは不適当であること、また大阪営業所については、事務関係の仕事であつて、原告らには適していないこと、さらに大阪倉庫については、下請関係の仕事が主であるから、従業員としては監督者若干名を要するに過ぎず、おもに浪速工場の停年に近い者や止むを得ない事情のある者をこれに配転することを決めている旨説明し、なお他の中川八戸工場等についても同様原告ら(ただし原告大野を除く)の転勤が不適当である等の理由をあげて、結局原告らの京都または大阪への転勤希望には添えないと述べた。なお、その際、被告は原告らに対し、駐勤所はもともと都会地にあり、子女の教育に困るようなことはなく、生活費も安く収入も上がり、仕事自体も比較的習得し易く、また取引が高額で責任のある、かつ、やり甲斐もある仕事であるといつて、右駐勤所等への転勤を勧め、同月二七日までに回答するよう求めたが、原告らが被告側の右転勤勧告をも拒否した。そのため、被告は、原告らの拒否の意思は固く、これ以上勧告しても事態の進展は望み難いと判断したが、なお、原告らの飜意を期待して最終的な勧告を行なうことを決め、同年四月一日浪速工場で、人事部長のほか前記浪速工場関係者らが原告らと面接し、前記提示にかかる場所以外の転勤先は考えられないので右場所に転勤するよう勧告し、もしこれに応じなければ退職以外に考えられないので、この点も合せて考慮するよう要請した。しかし、原告らは、被告の右勧告は四・一五協定の趣旨に違反するなどと反論し、結論がでず、そのため被告は原告らに対し同月三日までに返事するよう求めて右面接を終つたが、原告らは同月五日被告の右最終的勧告を拒否する旨回答した。

(7)、そこで、被告は、同月八日原告らに対し、文書にて同月一〇日までに、前記駐勤所等に転勤できない事情を個別に回答するよう指示したが、原告らは同月一〇日被告に対し右個人的事情等については触れることなく、他の誰もが転勤していない駐勤所への配転の提示を撤回するよう要請する旨の文書(甲第七号証)を提出した。

このため被告は、右文書では原告らが前記駐勤所等に転勤できない事情が明らかでないとして、同月一二日改めて業務命令をもつて原告らに対し翌一三日までに文書で転勤できない個人的事情を回答するよう指示したが、同日原告らは被告に対し組合に対しても被告に提出した前記要請文と同内容の書面(甲第九号証)を提示しているので、これに対する組合側の返事があるまでは何も述べられない旨の回答をした。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(四)、被告、組合および原告らの三者構成による話合の経緯およびその内容

前掲甲第七号証、同第九号証、乙第五号証、成立に争いのない乙第六号証(ただし一部)、証人鍋田泰弘、同沢山晴行、同国分節夫の各証言、ならびに原告本人篠原定夫、同藤田明、同沼田雄至の各尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)、これより先組合は、原告らの要請に基づいて、昭和四二年四月初旬頃中央委員会を開催し、四・一五協定の趣旨および転勤問題に対する原告らの対処の仕方等について、「組合は転勤問題につき組合員の完全雇用を基本に対処していくが、多数の組合員は幾多の困難を乗り越えて話合で転勤先を決めて転勤しており必ずしもその希望地に転勤しているわけではないから、原告らが大阪や京都を希望しても、要員不足があるとか、あるいは真にやむを得ない事情でもないと、実現が困難である。なお、すでに転勤した右組合員の立場を考慮すると、組合としては、原告らの右希望のみを取り上げることは矛盾しているから、原告としても、自己の主張のみを固執し、在阪等の希望を掲げて転勤を拒否することなく、組合の方針と四・一五協定の趣旨にそつて転勤した他の組合員と同様に自らが労働権生活権を守る努力をはかるべきである。」旨の見解を発表し、浪速支部を通じて原告らに対し、個別に右見解を伝えた。

(2)、これに対し、原告らは同月一〇日連名で組合本部に対し、「原告らは四・一五協定の骨子である完全雇用の実現、強制転勤の禁止、本人の意向の尊重の建前から最終的には希望どおり転勤先が決定されるものと考えていたところ、被告は、工場側が原告らを受け入れることを拒んでいるとか、あるいは原告らの思想、信条が困るなどと称して駐勤所等への転勤を内示したうえ、最終的には退職をも併せ考慮するよう勧告したものであつて、被告の原告らに対する取扱いは、原告らの意向を無視し、原告らを隔離しようとする不当なもので容認できない。なお、前記組合の見解は原告らが重視している点に触れていないので、さらに組合の見解と必要事項の指示を求める。」旨の文書を提出した。さらに原告らは同月一二日浪速支部を訪れ、転勤拒否の理由を明らかにするよう求めた被告の前記要請に対する組合の指示を求めた。これに対し右支部は、原告らと被告間の調整をはかる意図はあるが、そのためには原告らの転勤に関する意向、家庭事情等を被告に伝える必要があるので、文書または口頭で右事情等を回答するよう指示した。しかし、原告らが、組合本部に対し前記文書を提出しているので、その回答があるまでは、転勤に関する意向等を明らかにできない旨の回答をしたため、右支部は結局組合本部の指示をまつほかないと判断し、原告らの前記要請に対しそれ以上格別の指示、勧告はしなかつた。

(3)、一方組合本部は、原告らの前記文書による要請や右支部からの連絡などを種々検討した結果、同月二〇日中央執行委員長が原告らと話合うこととなり、同委員長は、翌二一日同支部役員らとともに原告らと面接した。そして、席上組合側は、被告と組合員間で転勤先の調整がつかないときは、組合がこれを取り上げて検討するが、転勤は組合員個人の問題であるから、この場で原告らそれぞれの具体的事情を明らかにすべきであること、および原告らが連名で被告の不当性を述べた前記四月一〇日付の要請書は、その内容が転勤問題からそれるものであるから、受理できないこと等を説明した。これに対し原告らは、主として被告の不当差別を追及し、転勤に関する意見としては、これまで同様関西地区を転勤先として希望する旨を述べる程度に止まつたため、話合は進展をみないまま、原告らが転勤問題の早期解決のため組合の努力を求める旨要請して当日は散会した。その後浪速支部も原告らの転勤問題の解決のために乗り出し、原告らに対し浪速工場の閉鎖という大前提を十分念頭に置いて真剣に転勤問題に取り組むよう要請したが、原告らが被告の不当差別を是正することが先決問題であると主張したため、右支部の右要請も結局成果があがらなかつた。

(4)、ところで、組合は、同月二一日被告から原告らとの交渉経過・各工場等の受入態勢等の説明を受けるとともに、原告らの転勤問題解決のための善処方を要請されたので、原告らと中央執行委員長との前記面接状況等を考慮し、組合も参加して右転勤問題を調整する必要性があるものと判断した。そして、組合は、同月二六日中央執行委員会において、翌五月一、二の両日浪速工場で原告らと、被告、組合の三者構成による話合の場を持つことを決定した。

(5)、そして、同月一、二の両日右三者構成による話合の場が持たれた。席上組合側は、具体的な転勤問題の調整が先決問題であつて、不当差別の問題は、被告が真に原告らを差別していることが判明すれば、その時問題にすればたりるとの態度をとり、原告らに対し、個別に具体的事情や転勤先、職場に関する意見等を明らかにするよう求めるとともに、駐勤所の状況については、原告らが希望すれば現地に案内することも考慮している旨を述べて、原告らの転勤問題の調整をはかろうとした。ところが原告らは、被告の原告らに対する不当な差別的取扱の追及と被告の前記昭和四二年四月一日付最終的勧告の白紙撤回が先決問題であり、具体的な転勤問題はむしろ第二次的なものであるとして、被告が少なくとも右最終的勧告を無条件で撤回しない限り具体的な転勤問題の調整の話合には応じられないと主張した。これに対し、被告は、四・一五協定の趣旨から被告には完全雇用の責任があり、また、駐勤所は市街地にあつて原告らの個人的事情を考慮すると、最適の転勤先であると考えられる旨の被告側の見解を伝えるとともに、被告としては前記最終的勧告を撤回する意思は全くなく、ただ原告らが駐勤所等に転勤できない事情があれば、二次案を作成する必要上家庭事情等細部についての事情や意見等を明らかにするよう希望する旨述べた。しかし、原告らは被告の不当な差別は明白であるから、この点の確認ないし前記最終的勧告の撤回がない限り具体的な転勤先等の話合には応じられないとの態度を依然固執し、結局右話合は平行線のまま全く進展せずに終つた。

以上の事実が認められる。乙第六号証の記載中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比してにわかに採用し難く、ほかに右認定を左右し得る証拠はない。

(五)、右話合後の原告らと組合の交渉状況

前掲甲第二五号証、乙第五、第六号証、証人鍋田泰弘、同沢山晴行の各証言、および原告本人篠原定夫の尋問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

(1)、組合本部は、前記三者構成による話合の状況、結果等につき、中央闘争委員会を開いて問題点を検討した結果、再度原告らの転勤意思の有無等を確認し、転勤交渉を推進することを決めた。そして、組合は、昭和四二年五月五日原告らに対し、これまでの原告らの態度は、組合組織の中で分派行動をとり、自己の主張を固持し、かつ、転勤できない個人的事情等を明らかにするよう指示した組合の機関決定を守ろうとしなかつたものでありこれは組織の民主的運営を否定することになるから、容認できないとして、原告らは(イ)、機関決定を守り、同月一一日午前九時までに文書で転勤先についての個人的希望と意思を明らかにし、また、(ロ)、転勤については機関決定に従うよう指示した。これに対し、原告らは、同月一一日連名の文書で、右(イ)の指示に対し、転勤希望先は原告大野が大阪その余の原告らはいずれも京都であるところ、もともと原告らの転勤問題が支障をきたしている原因は、被告が原告らの思想ならびに工場側の受入拒否を理由に、四・一五協定を無視し、駐勤所等以外の転勤先は考慮の余地がなく、転勤しないのなら退職せよ、という全く一方的な態度をとつていることにあり、原告らとしては、被告が原告らの右希望をいれて早期に解決することを望んでいる旨、(ロ)の指示に対し、組合の機関決定を順守すべきことは組合員として当然のことであるが、組合は、その規約で組合員の社会的、経済的地位の向上を目的としているから、機関決定も当然組合員たる原告らの利益を守る立場でなされるべきである旨、それぞれ回答した。

(2)、組合は、原告らの連名による右回答書の取扱について、中央闘争委員会を開き検討した結果、連名による右回答は分派行動を改めるよう求めた前記指示に反するものであるうえ、個人的事情等も明記されていない不備なものであると判断した。そして、組合は、同月一二日中央執行委員長が同月一五日浪速支部において、原告らと話合うことを決めるとともに、原告らに対し、分派行動は許されないこと、および組合は本件の問題を個人の転勤に関する苦情としてとらえ、既定の方針と四・一五協定の趣旨により解決する意向であつて、原告らの連名による右回答書は受理できないことを通知し、かつ原告らは前記機関決定に従い、同月一五日午後一時までに個人ごとに文書で転勤先の希望と意思とを明らかにするよう指示した。しかし、原告らは右指示に対しなんら回答しなかつた。

その後、同月一五日中央執行委員長と原告らとの話合が持たれたが、原告らは、個別に話合が行なわれると、その内容に食違いをきたし、また、ともすると原告らが組合側に圧迫されるおそれもあり得るから、右話合は原告ら全員同時になされるべきである旨主張し、他方、組合側は、すでに中央闘争委員会で確認しているとおり、原告ら全員同時の話合を求めることは分派行動になるものであり、また問題は転勤の話合であるから、個別に原告らの意見等を聴取するのが筋道であるとして、原告らのいう全員同時の話合を拒否する態度をとつたため、結局右話合も不成功に終つた。

(3)、組合は、原告らのこれまでの言動等が組合の方針を否認し、前記機関決定を無視するものと判断したものの、原告らが機関決定を順守する意思があるかどうかは、組合員として重大問題であり、場合によつては組合組織の運営上、原告らを統制処分に付する必要もあるとして、拡大中央闘争委員会を開いて検討した。その結果、組合は、再度機関決定順守の意思の有無を確認するために、原告らと面接する機会を持ち、その際、原告らが右の点につき不明確な態度をとれば直ちに中央査問委員会の注意ないし勧告としての戒告に付することを決めるとともに、中央執行委員長が同月二六日さらに原告らの説得に当ることになつた。

(4)、そして、同月二六日、中央執行委員長は本部書記長と共に、浪速支部において原告らに対し、機関決定に従い、転勤問題の話合に応じて各人の意思や条件、家庭事情などを明らかにするよう求めた。しかし、原告らは、組合の機関決定に従うことは当然であると述べたものの、被告の不当差別を明確にし、被告をしてこれを改めさせることこそ先決問題であると主張して、転勤の意思や条件等について別段回答しなかつた。そのため、組合は、原告らには話合に応ずる態度がみられないとして、予定どおり原告らを戒告したうえ、同月二九日までに浪速支部に対し、これまでの違反行動を反省し、今後機関決定に従う旨約束するよう要請した。ところが、原告らは、違反行動反省の点については、被告の不当な取扱に悩む原告らが連名で組合本部に対し、右不当取扱問題に関する見解や組合によるこれが正しい処理を求めることは当然であるから、原告らのこれまでの行動には特に誤りはないとし、また機関決定順守の点については、原告ら組合員が機関決定を順守すべきことは当然であるとして、原則としてはこれを認めたが、具体的な場合の問題について、原告大野、同藤田は機関決定の内容如何によつては従えない場合もあり得る旨を述べ、また、原告篠原、同沼田は即答できない面もあるとして、回答を留保した。そこで、組合側は、原告らに対し、同月二九日開催予定の中央闘争委員会までに、転勤問題に関する各人の意思や意見を浪速支部を通じて明確に回答するよう要請するとともに、自己の意見や主張と異なる機関決定であつても真剣に考えて意思表明をする必要がある旨注意し、かつ勧告した。ところが、同月二九日前記のとおり回答を留保していた原告篠原、同沼田は浪速支部副支部長に対し、機関決定には従うが、転勤問題は本来組合員個人の基本的労働条件の問題であるから、組合といえども、本人の意向を無視した機関決定をなし得べきものではない旨回答した。なおその余の原告らは、既に前記同月二六日の会合でなした回答で十分右原告らの意見が表明されているとして、改めて回答はしなかつた。

(5)、このため、組合は、同月二九日中央闘争委員会を開いて原告らの右回答等につき検討した結果、機関決定順守の意思が明確でないと判断し、右意思の有無を確定するため原告らに対し、原告らの機関決定違反の行動については既に同年五月二六日各本人に反省を求めるとともに、機関決定を厳守するよう戒告したが、この点につき各本人から明確な意思の表明ないし確約がなされていないので、各本人毎に同月三〇日午前九時までに、文書で、従来の機関決定に反する行動について反省の意思を明らかにするとともに、今後は組合機関の決定を厳守する旨の意思を明らかにするよう指示した。

(6)、しかし、原告らは、同月二九日浪速支部役員に対し、原告らの意思は既に同月二六日および同月二九日に明らかにしているから、右指示に関しては改めて回答しない旨を述べたが、その後同年六月上旬組合に対し、文書で、原告らはこれまで機関決定に違反したことも、また分派行動をとつたこともなく、問題は、被告が原告らに対し四・一五協定を無視し不当な転勤を押し付けようとしたことにあるのであつて、被告の不当差別を明確にすることこそ、原告らの転勤問題を解決する唯一の途である旨を強調した。

以上の事実が認められる。右認定を動かすに足りる証拠はない。

(六)、原告らに対する本件除名とその執行

前掲乙第六号証、成立に争いのない甲第一八ないし第二〇号証、乙第七、第八号証、丙第五、第六号証、同第九号証の三、五の各一、二、同第一二ないし第一八号証、証人鍋田泰弘の証言により成立の認められる同第八号証、同第九号証一、二、四、同第一〇、第一一号証および証人鍋田泰弘、同沢山晴行の各証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 組合執行部は、原告らが前記昭和四二年五月二九日の組合指示に対し回答期限の翌三〇日までになんらの回答もしなかつたことや、従前の原告らの言動等から、原告らに組合機関の決定、指示等に反する統制違反があると判断し、原告らを処分することとした。そして、原告らの所属する浪速支部長の告発に基づき中央査問委員会で審議した結果、同年八月二六日、原告らは中央闘争委員会の指示等を無視ないしは拒否して組合幹部に挑戦し、組合の組織そのものを否認する言動に出たものであり、かかる原告らの行為は制裁事由について定めた組合規約五九条三項(1)「組合規約、または決議に違反したとき。」、同(2)「組合の統制、秩序をみだしたとき。」、同(3)「組合の運営、事業の発展を妨げる行為があつたとき」に該当するから除名相当である旨の結論を出した。

(2) そして、原告らに対する右除名の件は、昭和四二年九月八日開催の第三七回定期大会に付議され審議の結果、出席代議員四六名全員が除名賛成の決議をした。ついで右組合大会の決議を確認するため同月一〇日から一二日までの間に組合員全員(四、〇八五名)による投票を各支部毎に実施し(組合規約一四条)、その結果、投票総数四、〇〇五票中、除名賛成二、九〇〇票除名反対九五九票で前記組合大会決議が確認された。しかるところ原告らは右除名を不服とし同月一四日組合に対し再審査の請求をしたので、組合大会で審議した結果、同月一五日右除名を肯認する旨の決議がなされ、これにより原告らに対する右除名は確定した。そこで、組合は同年九月一六日付をもつて原告らに対し、右除名の執行をした。

以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

2、本件除名の効力

(一)、前叙認定の事実関係に照らし、原告らの行為が本件除名に値するものであるかどうかについて、以下判断する。

(1)、浪速工場の閉鎖に伴い、被告と組合間に締結された四・一五協定によれば、前記のとおり被告は同工場従業員に対し強制転勤を行なわない旨、また転勤については従業員の希望を尊重する旨それぞれ定められているところ、同工場の従業員であつた原告らのうち、家庭事情等から原告篠原は京都その余の原告らはいずれも大阪をそれぞれ転勤先として希望していた(もつとも、その後右希望は原告大野につき大阪、その余の原告らにつき京都とそれぞれ変更された)。しかるところ、被告は原告らが協調性に乏しく工場側が受入を拒否しているという理由のもとに、原告大野を除くその余の原告らについては、右協定締結当時組合員たる原告らはもちろん、組合自身も予想せず、しかも、右原告らにとつて従前の抄紙関係の業務とは全く職種を異にし、原木売買等の業務を取り扱う前示各駐勤所を転勤先として決定し、また原告大野については右駐勤所をはずしたものの、同原告が病弱等のため住居の変更を伴う転勤を困難とする事情が存するにもかかわらず、右変更を要する中川工場(東京)を転勤先として決定したうえ、これら転勤先を唯一のものとして原告らとの転勤交渉に臨んだ。そして、被告は、原告らが右転勤先に難色を示すと、遂には最終的勧告の名のもとに、右転勤先への転勤に応じられないときは退職を考慮するよう要請するに至つたものであつて、被告の右措置は原告らに対し別段首肯するにたりる合理的な根拠なくして、実際上右駐勤所等への転勤を強いるに等しいものであつたといわなければならない。もつとも、被告が、浪速工場の前記閉鎖に伴う大量の転勤問題等を抱え、その処理のために種々配慮し、努力を重ね、その結果多数の従業員が円満に八戸工場その他に転勤して行つたことは、被告の対策が当を得たことによるものとして評価すべきであるけれども、こと原告らに関しては、被告の前記措置は、前述したところから明らかなように強制転勤を禁止した四・一五協定にもとるものであつたといわざるを得ない。したがつて、原告らがこれに対し、右最終的勧告の撤回を強く求めたことは、この間における原告らの姿勢に多少柔軟性を欠く点があつたと認められるとしても、なお、自らの労働条件を維持、確保するためになした組合員として正当な行為であつたとみるのが相当である。

(2)、一方、組合は、被告および原告らの双方から、難航する転勤交渉の局面打開のための善処方を求められ、その調整、解決をはかるために種々努力を払つたものであつて、このことは前叙認定の三者構成による話合の経過等に照らし明白である。ところで、前記のとおり被告の提示にかかる前記各駐勤所は原告らを含む浪速支部組合員の転勤先として当初全然予想されていなかつたものであり現にその後においても右駐勤所に転勤した者は一人もいなかつたのであるから、組合としては、原告らの転勤問題の解決のために乗り出す以上、まず被告との関係において、右駐勤所等が原告らの転勤先として真に合理性を有するものであるかどうか、あるいは四・一五協定に従い、原告らの前記希望を考慮して右転勤先を変更する余地がないものであるか否かをまず十分検討し、被告にこれを質す等の措置をとり、しかる後原告らの右希望との調整をはかるべきものであつたといわなければならない。しかるに、組合は、別段右措置をとることなく、かえつて原告らに対し、前記機関決定、指示等の名のもとに転勤先についての希望等を個別に文書で提出するよう要求したが、前記のとおり原告らの希望あるいは家庭事情等はすでに明らかにされていたのであり、いまさらこれを明らかにするように求めても、原告らの転勤問題を解決するために役立つものであつたとはにわかに考えられない。むしろ、被告において、原告らの右希望等が分つていながら、その転勤先として前記駐勤所を提示し、かつ前記最終的勧告をもつてその回答を迫つていたことを考慮すれば、右段階において組合が原告らに対し、右機関決定等をもつて転勤先についての希望意思等を開示するよう要求したことは、実質的には、右駐勤所等に転勤する希望ないし意思の有無を明らかにするよう原告らに求めるに等しく、かくては、組合の意図とは別に、右駐勤所等への転勤を強いることにつながるものであつたといわなければならない。もとより、組合が原告らに対し、右機関決定等をもつて臨んだ背後には、多数の組合員らが別段苦情等を訴えることなく、遠く八戸工場等に転勤して行つたことに対する配慮から、転勤希望先としてもつぱら大阪、京都など関西地区を固執する原告らの言分をそのまま支持できないという気持が働いていたことは容易に推認できるところであるけれども、強制転勤を禁止した四・一五協定に照らして考えると、組合の右態度はたやすく是認できない。したがつて、原告らが右転勤先についての希望等の開示等よりも、被告において、右協定に従い右駐勤所等に転勤を強いる方針を改めることが先決問題であると主張し、右主張に基づき前記三者構成による話合の席上、あるいはその後における組合との交渉の過程において、前叙認定のような行動に出たことは、やむをえないものであつたといわざるを得ない。

(3)、ところで、本来労働組合は、使用者との団体交渉等を通じ、団結の力によつて組合員の労働条件その他経済的地位の維持、向上をはかることをその目的とするものであるから、労働組合の組合員に対する除名その他の方法による統制権の行使ももとより無制限に認められるものではなく、右目的の実現に資するために、社会通念上必要かつ合理的な範囲内で、これが許容されるものと解するのが相当である。ことに、ユ・シ協定が存する場合の除名については、除名は解雇につながり、被除名者の生存権、労働権に重大な脅威を及ぼすものであるから、右除名が正当であるかどうかを判断するについては、被除名者の行為の反組合性の程度等を十分検討する必要がある。

これを本件についてみるのに、組合は、原告らの前記行為が前記組合規約五九条三項(1)ないし(3)に該当するとして、原告らを除名したものであるところ、原告らが組合に対し、折角その転勤問題の解決方を要請しながら、組合の要求した、転勤先の希望等についての個別な文書回答等に応じなかつたことは、一応前記機関決定等に違反するものとの評価をうけてもやむを得ないものというべきである。しかしながら、前記説示から明らかなように、四・一五協定に照らし、右機関決定等自体その妥当性を欠くものであつたばかりか、原告らの行為は、前記のとおり被告に対し、一貫してその転勤問題につき、被告が組合と締結した右協定を順守し、かつ履行することを求めてなされたものであり、別段右協定の履行を妨害するために行なわれたものでもなければ、また組合に対し、その組織破壊ないしその弱体化を目指し、いわれなき中傷、攻撃を加えたものとも認められないのである。したがつて、原告らの行為を目して、機関決定に違反し、組合の統制、秩序をみだす分派活動、あるいは、組合の運営、発展を阻害する恣意的行為であるとして、除名相当とみることは、たやすく是認できない。そうすると、原告らの行為は、もともと、統制処分たる除名に値しないものというべきである。

(二)、右の次第であるから、原告らに対する本件除名は原告らのその余の無効事由について判断するまでもなく、無効といわなければならない。

三、そこで本件解雇の効力について考察する。

1  本件協約四条(ユ・シ条項)が「会社は、組合から除名された者を解雇する。ただし、会社がその解雇を不適当と認めたときは組合と協議のうえ決定する。」旨規定していることは当事者間に争いがないところ、被告の原告らに対する本件解雇の意思表示が、右同条の規定に基づき、原告らが除名されたことを理由としてなされたものであることは前述したとおりである。

2  ところで、原告らに対する右除名は、前記のとおり無効であるから、以下これと右解雇の効力との関係について検討する。

(一)、まず、右ユ・シ条項の性質についていえば、成立に争いのない乙第一六号証、および証人国分節夫の証言によれば、昭和三四年四月一五日から同年五月一三日までの間に開催された被告と組合間の第四三回団体交渉において、本件協約四条の運用につき、右両者間に、平常の場合民主的な処置によつて組合員が除名されたならば、被告は該組合員を解雇する旨の確認がなされ、これが右団体交渉議事録に登載されたこと、および右確認事項は今日に至るも変更されていないことが認められるから、本件協約四条は、これを右確認事項と合せ考慮すれば、前記但書の存在にかかわらず、組合の分裂等の事態が生じていない平常時におけるいわゆる完全ユニオンを定めたものとみるのが相当である。

(二)、ところで、一般に、使用者と労働組合間にユ・シ協定(完全ユニオン)が締結されている場合には、労働組合が組合員を除名し、その旨を使用者に通告すれば、使用者は被除名者を解雇すべきものであつて、このことは別段詳論するまでもない。このように、ユ・シ協定に基づく解雇が除名を前提としてなされる所以は、もともとユ・シ協定が、労働組合の組織維持をはかるために、従業員の地位と組合員の地位を連結させ、除名により労働組合から排除されて組合員たる地位を失なつた者については、使用者も、労働組合の意思にそい、この者との雇用関係を終了させるために解雇するということを規定していることによる。したがつて、労働組合が組合員を除名した場合における使用者の被除名者に対する解雇は、ユ・シ協定によつて正当化されるし、一方被除名者はこれを甘受すべき立場にあるものと解される。もつとも、ユ・シ協定が、右のように労働組合の組織維持をはかるために、使用者がこれに協力することを定めた趣意にかんがみれば、右協定による解雇がその効力を生ずるのは、除名が有効に行なわれた場合に限られ、これが無効であつて、被除名者が依然組合員たる地位を有している場合には、使用者は、ユ・シ協定に基づきこの者を解雇するに由ないものというべきであるから、その解雇は無効といわざるを得ない。この意味で、ユ・シ協定に基づく解雇は、もとより使用者によつて行なわれるが、通常の解雇の場合と異なる面での取扱いを受けるものと解すべきである。

しかるところ、被告は、除名の効力如何によつて解雇の効力が左右されるものではないと主張するが右主張は、ユ・シ協定による解雇が前記のような性質を有することを無視するものであつて、採用できない。

(三)、そうすると、原告らに対する本件除名が前記のとおり無効である以上、被告が原告らに対し、本件協約四条(ユ・シ条項)によつてなした本件解雇の意思表示は、前段説示に照らし、その効力を生ずるに由ないものというべきである。

四、以上の次第であつて、本件解雇は無効であり、原告らは依然被告の従業員たる地位を有するものというべきであるから、被告に対し原告らが右従業員であることの確認を求める原告らの本訴請求部分は、正当としてこれを認容すべきである。

第二、原告らの賃金請求について

一、原告らに対する本件解雇が無効であり、原告らが依然被告の従業員であることは前記のとおりであるところ、右解雇後の昭和四二年九月二一日以降被告が原告らの就労を拒否し、その賃金を支払つていないことは当事者間に争いがないから、原告らは被告に対しその支払いを求めることができるものといわなければならない。

二、そこで、被告が原告らに対し支払うべき賃金額等について検討する。

1  原告らの本件解雇当時の一か月当りの基準内賃金が別表(三)賃金明細表記載のとおり原告篠原につき金五五、九六八円、同藤田につき金三七、七八五円、同沼田につき金三七、四一七円、同大野につき金三四、八一六円であることは当事者間に争いがない。ところで、原告らは、同表記載のとおり右各基準内賃金にそれぞれ昭和四一年度分年末一時金および昭和四二年度分夏期一時金の合計額の一二分の一を加算した額、すなわち原告篠原につき金七一、二七八円、同藤田につき金四八、五六一円、同沼田につき金四七、四七五円、同大野につき金四二、二一三円をもつて、それぞれ被告から支払いを受けるべき一か月当りの賃金額である旨主張するところ、その趣旨は、原告らが、本件解雇のなされた以降において、それぞれ一時金として、少なくとも毎年夏期に右昭和四二年度分夏期一時金相当額を、また年末に右昭和四一年度分年末一時金相当額を取得しうべきものであり、しかもこれを右基準内賃金に加え各月ごとに分割請求できるとの前提に立つものと解される。しかしながら、右各一時金の額、支払時期等については、毎年被告と組合間の協定(労働協約)によつて各期末ごとにその取決めがなされ、原告らにおいても、これにより初めて具体的な右各一時金請求権を取得するものであることが容易に推認できるから、原告らが、本件解雇後の右各一時金(ただし後記昭和四二年度分年末一時金を除く)に関する右協定の存在につきなんら主張、立証しない本件においては、右解雇後の各期末ごとに、右各一時金請求権を取得しうるとなすに由ないものというべきである。のみならず、本来右各一時金の支払時期は、前記のとおり右協定によつて取決められるべきものであるから、特段の事由でもない限り、被告において原告らのこれが各月ごとの分割請求に応ずべきいわれもない。したがつて、この点に関する原告らの前記主張は、その前提においてすでに失当であり採用できない。

2  そうすると、被告が原告らに対し支払うべき一か月当りの賃金額は、本件解雇当時の前記各基準内賃金であるというべきところ、ただ右各基準内賃金のうち、前記別表(三)記載の原告ら(ただし原告藤田を除く)の交通費は、本来実費弁償の性格を有するものであるから、現実に就労していない右原告らはこれを請求し得ないものといわなければならない。したがつて、右原告らの右各基準内賃金からこれを控除すれば、結局、原告らに支払われるべき右賃金額は、別表(一)賃金額等一覧表の賃金額欄記載のとおり、原告篠原につき金五三、六九八円、同藤田につき金三七、七八五円、同沼田につき金三六、六八七円、同大野につき金三二、二七六円となる。

3  そして、原告らの右各賃金額に基づき、その主張の前記昭和四二年九月二一日から、昭和四三年五月二〇日までの二四三日間の未払賃金額を計算すると、原告篠原につき計金四三四、九五三円、同藤田につき計金三〇六、〇五八円、同沼田につき計金二九七、一六四円、同大野につき計金二六一、四三五円(いずれも円位未満切捨)となることが計数上明らかである。なお、原告らは被告に対し、右とは別に昭和四二年度分年末一時金を未払賃金の一部として請求し、その額が前記別表(三)記載のとおり原告篠原につき金九三、五七八円、同藤田につき金六三、七八六円、同沼田につき金六一、六四八円、および同大野につき金五三、〇五八円であることは当事者間に争いがないところ、被告はその支払義務を負担しているものというべきであるから、これを前記各未払賃金額に加算すると、別表(一)賃金額一覧表の未払賃金額欄記載のとおり、原告篠原につき金五二八、五三一円、同藤田につき金三六九、八四四円、同沼田につき金三五八、八一二円、同大野につき金三一四、四九三円となる。

三、そうすると、被告は原告らに対し、それぞれ右別表(一)の未払賃金額欄記載の各未払賃金を、また昭和四三年五月二一日以降、支払日であることが当事者間に争いのない毎月二〇日限り、同表の賃金額欄記載の各賃金をそれぞれ支払うべきものといわなければならない。ただ、右各賃金については、前記のとおり被告が本件解雇を有効であると主張し、原告らの就労を拒んでいる以上、原告らにおいて本件口頭弁論終結時たることが記録上明白な昭和四八年六月二六日後に弁済期が到来すべき将来の分についても、被告が原告らを就労させるまで予めこれを請求する必要のあることが肯認されるが、被告が現実に原告らを就労させれば、それ以降の分については当然その支払いをすることが容易に推認できるから、この分については、原告らにおいて予めその給付判決を求める必要を認め得ない。

四、よつて、原告らの被告に対する右賃金等請求部分は、右の限度で正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。

第三、結論

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条、九四条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 日高敏夫 砂山一郎 三島いく夫)

(別表省略)

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